経過報告2006年3月10日
大西匡哉

カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介

カテンべをナイロビに連れてきてから一ヶ月がたつ。

最初に医者には「もう手遅れだ」と言われ、M・P・SHAHホスピタルに緊急入院し、透析を始めてからも嘔吐や痙攣や割れるような頭痛に襲われ、やっと退院したのもつかの間、夜中に呼吸困難を起こし、M・P・SHAH緊急搬送し再入院と、何度も生死を彷徨ってきた。
付き添ってきた自分も、この小さな命の行方に何度も胸を締め付けられ、祈り、とにかく少しでも良くなるようにという気持ちだけで動き回ってきました。
そして、今なおカテンべはたくさんの人に支えられながら、着実に一歩一歩前進しようとしている。

現在カテンべはじっくり闘病生活を送るため、ナイロビのキベラスラムのアパート(キベラプラザ)を間借りして、週に3回透析に通っています。
状態はほぼ落ち着いており、透析にもだいぶ慣れてきたようで、昨日の透析時も2時間経過後に血圧が153/95、脈拍100まであがりましたが、その後とくに何の症状もなく(今までならその後激しい頭痛や吐き気などに襲われていました。)無事4時間の透析を終えました。
透析後の体重は25kg。

キベラプラザでの生活も、自由に遊びたいときは遊び、トランプをしたり、ピアニカの練習をしたり、スワヒリ語の民話の本を読んだり、ラジオでポップスを聞いたりと楽しく過ごしています。
が、まだ疲れやすいようで、しばらく起き上がっていると「首が疲れた。」と言ってソファに横になります。

キベラプラザはマーケットとバス通りに挟まれた一角に建てられた5階建てのアパートで、カテンべたちの部屋は4階。窓からはマーケットが見渡せてなかなかにぎやかなところです。
このところ毎日夕方に大雨が降るので、このマーケット、足元はドロドロ、長靴がなければとても歩けません。
長靴を履いて歩き回ってみると、野菜、果物、豆、とうもろこし、ジャガイモ、マンゴー、靴、布や服、ラジカセ、鍋やヤカン、炭、コンロ、ニワトリ、その他細々とした日用品など、ところ狭しと様々な品物が掘っ立ての店に並べられ、なかなか楽しいところです。
カテンべは時々窓からこのマーケットを眺めています。
マーケットの向こうには小学校が見え、休み時間には広いグラウンドを走り回っている子供たちの遊び声が聞こえてきます。

引っ越してきた初日、カテンべと二人でアパートの屋上に登ってみました。
階段があるのでおんぶしてやろうとすると「大丈夫だ、」と言い、自力で登り始めました。
片方のうでを支えてやると、もう一方の手で手すりを掴み、上半身の力で下半身を引き上げるようにして、ゆっくりとですがとうとう最後まで登りきった。屋上には洗濯物がたくさん干してあり、その向こうにはキベラのトタン屋根が果てしなく続いていた。

カテンべの足腰はまだ相当弱っているようです。
平地でさえ壁や他すりに捕まりながらゆっくりとぎこちなく歩いています。

友人の送ってくれた情報によると、腎臓から排出されるはずのリンが血液中にたまると、副甲状腺を刺激し、副甲状腺ホルモン(PTH)が分泌され、骨を溶かすらしい。
同様に腎臓で活性化されるビタミンDが不足すると、食物中のカルシウムを吸収できず、血中カルシウム濃度が減り、それを補うためにPTHが分泌され骨を溶かす。
実際カテンべの最初の血液検査の結果は、リンは2,30mmolで平均以上、カルシウムは1,13mmol で平均の半分以下だった。
さらにクレアチニンという老廃物は1155,00mmolと平均の約10倍以上で、腎臓がほぼ機能していないことを示している。
このほかにも赤血球やヘモグロビンの数値も恐ろしく低く、カテンべがどれほど危険な状態であったかということを物語っていた。

健康体であれば、これらの数値は体の様々な働きにより正常に保たれるのだが、カテンべの腎臓はもう機能していないため、透析を受けなければまたすぐにでも危険な状態になってしまう。
そもそもカテンべの腎臓はもともとはどこも悪くなかったのだ。
ただ腎臓と膀胱をつなぐ尿管という管が詰まってしまったために、尿が腎臓にたまり、ついには機能しなくなってしまった。
腎臓は一度壊れると二度と回復しない臓器だという。せめて5年前にもっとマシな医者に見てもらえれば、尿管のつまりを取り除くだけの簡単な手術で回復していたかもしれない。

この小さな少年の運命は、いまだ先の見えない闇の中にある。

2006,3,10      大西匡哉
[PR]
by keep_music | 2006-03-10 11:54 | 経過報告
<< 募金状況の報告 カテンベ救済ライブ >>