2006年7月26日
早川千晶

カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
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カテンベは今日も意識が戻りませんでした。だけど昨日より反応があります。今まだナイロビ病院のICUです。だけど絶対に回復すると信じています。カテンベの耳元で話しかけると、必死で目を開こうと反応しているのがわかります。



私たちはみんなここにいるよ、みんなで祈っているよ、カテンベがんばれ!と話しかけると、顔がぴくぴくと動きます。聞こえている?と聞くと、かすかにうなずくのです。
昨日は、体を触ると、体の芯がとても冷たいような、体からの反応がないような、そんな不気味な感触がありました。血圧はすごく高いのに、体の芯が冷たいのです。だけど今日は、体中から発汗していました。そして体の芯がとても温かくなっています。
「これは大丈夫だ!カテンベは必ずよみがえる。」と強く直感しました。
昨日、様々な処置を受けたあと、脳のスキャンを取り、そのあとで2回目の透析を行いました。1日2回の透析をするのははじめてのことです。
そして今日もまた透析をしました。昨日の血液検査の結果は最悪だったそうで、透析のあとでほんの少しは改善が見られたものの、まだとても悪い結果だったので、連続での透析を試みるということでした。
脳のスキャンの結果、頭の中に出血も梗塞もないということがわかりました。ひとまずそのことではほっとしました。
心臓のスキャンも取りました。その結果を待っているところです。
カテンベは呼吸器を入れられてそれによって呼吸しています。鼻から管を通してそこから流動食を入れていますが、今日の前半は腸が働いていないということで、流動食が入っていかないと言われました。午後には少しづつですが流動食の流れが良くなったようです。
意識はないのですが、これは、薬によって眠らされているせいだそうです。それなのに、話しかけると確実に反応があるということが感じられ、これは絶対に希望があると思いました。
「お父さんもミリティーニから到着したよ。ミリティーニでもみんなが祈っているよ。ここにずっとお父さん、お母さん、匡哉、私がいるからね。一緒にいるよ。メジラも家で待っているよ。早く元気になって家に帰ろうね。」と言うと、はっきりと、うなずきました。話しかけていたら、何度も目から涙がこぼれました。
昨日は足の裏も不気味な冷たさだったのが、今日は温かみがやどっていました。
「今日はこうやってよく眠って、もう一度透析したらカテンベはきっと目が覚めることができるよ。口の中の管も取ってもらえるよ。」と言ったら、また顔がぴくっと反応します。
「目覚めたい?」と聞いたら、うなずきました。
医者はまだ深刻な状態だと言います。だけど確実に昨日よりも力が宿っているのを感じました。
連続の透析で、胸の中にたまっていた水はほぼ取れたそうです。それと、激痛があった腹部も落ち着きました。途切れなく激しく痙攣していたのも止まりました。

それにしても、今日のカテンベの様子から、カテンベは本当にすごいとつくづく思いました。
体中に機械がつながっていて、機械で呼吸させられ、眠らされて意識のない状態でも、こちらの呼びかけに反応しようとしています。
そして、自分の意志を伝えようとする力を感じました。そばにいて、じっと手を握って目をつぶると、カテンベの声が聞こえてくるようでした。
特に、お父さん、お母さん、匡哉など、そばに来て励ましの声をかけると、体がものすごく反応します。
まるで、「僕はここにいる!僕は行かない!」と自分の意志を伝えようとしているようでした。
だから、「ずっとそばにいるよ。」と言うと、とっても反応するのです。
昨日から今日にかけて、お母さんはかなり悲観的になり、かなり気力を落としていました。だけど今日は、お母さんがそんなことではいけない!と私は強く話をしました。
カテンベがあんなにがんばっていることが体から伝わってくるのに、お母さんが気を落としていてどうする。
私はカテンベが絶対に回復すると信じている。みんなでカテンベは絶対に大丈夫だと信じて、そうやって信じているということをカテンベに伝えよう。それによってカテンベは強くなれるはずだと思う。と言いました。
お母さんは、わかった、と言い、それからあとは明るい表情で、ひたすらカテンベを励まし続けました。

明日は必ず目が覚めると私は信じています。だから仕事に行く前の早朝に病院に行くことにしました。
カテンベは必ずよみがえります。祈っていてください。
インド行きの手配も順調に進んでいます。

今日は親戚のおじさんもモンバサから駆けつけました。
みんなで今後のことを真剣に話し合いました。
とにかくインドに行くための費用をすべて消耗しつくしてしまわないよう、今すぐ緊急にできるハランベーを呼びかけよう、ということを話し合いました。
ナイロビ病院のICUでの治療はとても高価で、昨日1日だけで20万シリング(34万円)以上になっています。
これからインドに渡航できるまでに状態を改善させ、ICUを出ることができたら普通病棟でナイロビを出発する日までを過ごすことができるように、なんとしてでもその費用を集めよう、ということを話し合いました。
キベラの自宅に帰ると、また容態が急変してしまうかもしれないと心配です。
今回のような状態がもう一度繰り返されるとしたら、カテンベはもうもたないかもしれません。
だから、インド渡航に万全をきするため、病院からインドに出発できるようにしたいと考えています。
インドへの出発日は8月21日で準備をはじめています。
長いフライトですから、これはかなりの山場です。

今日は、匡哉が書いた報告を送ります。実はこの匡哉のレポートは、7月24日にMPシャー病院をなんとか退院でき、ひとまずほっとしたあとで書いた文章なのです。ほっとしたのもつかのま、その夜にはまた容態が急変してしまい、昨日ナイロビ病院のICUに入院することになってしまいました。
この報告を書き上げて、明け方にやっと寝ようとしたところで、カテンベの容態が急変したからすぐに来てくれという連絡が入ったというわけです。
今の状態に陥る前に書いた文章だということを前提に、お読みください。

早川千晶

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大西匡哉より。2006年7月24日

7月19日の深夜、マママシカ(カテンベの母親)からカテンベの調子が悪いと連絡が入り、急いで家を出ました。5月の下旬からマゴソのCD制作を再開し、編集も架橋に入っていて、連日徹夜で作業していたさなかのことでした。

マタトゥ(乗り合いバス)を捕まえるのが難しい時間帯だったので、トーチ片手にタクシーが見つかりそうなところまで走っていきました。途中ガソリンスタンドでうまい具合にカテンベたちと合流し、そのままM.P.SHAHホスピタルに向かいました。カテンベはその10日ほど前にも肺炎で3日間M.P.SHAHに入院しており、そのときの症状に似ていたので、マママシカも近隣の人たちの協力を得て手際よく病院に向かっていました。病院に着くと、そのままICUに直行し、すぐに酸素マスクと点滴を受けはじめ、肺のレントゲンをとりました。血圧は170/120、体温は39度、心拍数は150前後をいったりきたりしており、抗生物資や、痛み止めを投与してもすぐには回復せず、苦しそうにハァハァ息をしながら朝を迎えました。翌日診断に訪れた主治医のムオンゲラの話によると、肺炎および極度の貧血、それと高血圧により、心臓に大きな負担がかかっているとのことでした。モニターに貼り付けられたレントゲン写真には、カテンベの小さな胸全体に大きく膨れ上がった心臓が映し出され、一瞬背筋が凍りつく想いがしました。また血液検査の結果も、ヘモグロビンの数値が5.9g/dlと2月以来の低さで、順調に透析生活を続けているように思われていたのが一転、かなりシリアスな状態であることがわかりました。2月以来、断続的に高額な増血剤を投与してきており、4月の時点で9.51g/dlまで回復していたのですが、ここ最近はその効果も見られないようです。その日は透析と輸血、また深夜になってから訪れた心臓専門医の診断を受けました。心臓医の話では、心臓の鼓動自体はしっかりしている。問題は腎不全による血圧障害で、これは透析によって解決するだろうということでしたが、これまでもたびたび透析中の血圧上昇が見られ、むしろ問題はヘモグロビンの低下なのではないかと思われました。その日の輸血は自分がドネイトし、さらに翌日、翌々日と次々に友人たちが駆けつけ10パイントもの血液が集まりました。輸血後、血圧も幾分下がり、顔色もだいぶ良くなり、普通に会話もできるようになりました。ヘモグロビンの数値も7.9g/dlまで回復が見られ、マママシカと共にひとまずほっとしました。

ICUは、ほぼ満員状態で常に殺気立っていて、そこに3日も4日も入院し続けるのはかなりしんどいものです。入院一日目は事故で意識不明だったまだ小さい子供が亡くなり、同じく重症を負っている父親が悲しみのあまり錯乱状態で椅子を振り回して暴れ、看護婦に怪我を負わせるという事件がありました。それでなくても常に鳴り響いている様々な計器の音や、重病患者のうめき声などがきこえている蛍光灯の密室の中では、ひと時も心が休まりません。医者や看護婦たちは1日3交代のローテーションを組んでいますが、患者や24時間付き添っている我々とっては、ICUは心身共に疲弊させる過酷な場所でした。

そこに入れ替わり立ち代る医者や看護婦たちも様々で、落ち着いた声で安堵感を与えながらゆっくり注射を打つ名医もいれば、けたたましい声と恐ろしい作り笑いで恐怖心をあおりながら注射を打つまったく頭にくる看護婦もいます。特に、信頼できない人に注射を打たれることを極度に嫌うカテンベにとって、ICUでの2回目の透析はまさに拷問のようで、我々を全員外に追いやり、泣き叫ぶカテンベを無理やり押さえつけて透析用のはりを打ったうえに失敗するというひどいものでした。今までなんども透析針を打つ痛みと恐怖に打ち勝とうとしてきていたカテンベですが、今回のことで相当参ってしまったのではないかと心配です。

しかしその日はどうしても透析と2パイントの輸血を受けなければならなかったので、夕方になってから再度、嫌がるカテンベをみなで説得し励ましながら、何とか透析を受けました。透析と輸血後は血圧も落ち着き、ヘモグロビンの数値も13.8g/dlと驚くほどの回復をみせましたが、カテンベはしばらく誰とも口を利こうとしませんでした。

4日目の早朝になってやっとICUのすぐ隣にあるテレビトイレ付の部屋に移され、我々も備え付けのソファーでゆっくり休むことができました。夕方になってマゴソのリリアンたちが食事を差し入れに来てくれ、快適な部屋でみなで楽しく食事を取りました。そして翌日無事退院し、キベラプラザに戻ってきました。

現在千晶さんと共に急いでインド行きの準備を進めています。ムオンゲラにも早く移植手術をするように進められています。造血剤の効果が無い以上もうナイロビにいてもあまりできることも無いようで、輸血も移植後のリアクションを強めてしまうので、できるだけしないほうがいいらしく、どうもこの当たりがナイロビでの闘病生活の限界なのかなという気がしています。

インド行きには心配もありますが、できるだけ万全の体制を整えていきたいとおもいます。                          

大西匡哉
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by keep_music | 2006-07-27 13:30 | 経過報告
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