近況報告(カテンベの村での家族会議1)2006年8月27日
早川千晶

カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介
イベントのお知らせ
基金口座振込み先

8月24日、25日の2日間で、カテンベの故郷のミリティーニ村に行ってきました。

もともと、インドに出発する前にカテンベに1泊だけでも里帰りさせてあげたいと計画したミリティーニ行きだったのですが、その後、前回の報告に書いたようにお母さんの状態が悪くなり、緊急に家族に話をする必要が生じましたので、家族会議をすることが村訪問の第一の目的となりました。カテンベは1泊だけナイロビ病院から外出許可をもらい、ナイロビ病院からの往復となりました。カテンベには長距離バスで行く体力はないので、飛行機でナイロビからモンバサを往復しました。透析をしてから出発し、帰ってきたらまたすぐに透析をする、ということで、1泊ならば大丈夫だろうとムウォンゲラ医師から許可が出ました。




2月9日以来、実に7ヶ月ぶりの里帰りです。カテンベは興奮気味で、里帰りをとても楽しみにしていました。ミリティーニに行くときには新しいジーンズをはいて、ブラジルTシャツを着ていくのだ、と張り切っていました。飛行機はかなり怖かったようです。揺れるたびにドキドキした顔をしていました。ケニア航空が車椅子を用意してくれました。

遠くに住んでいる家族にも早くから知らせて、集まってもらいました。8月24日の夕方、ミリティーニ村に到着すると、すごい人数がカテンベの家に集まっていました。家の中も外も、人で埋まっていました。

この2日間で、家族会議をしてカテンベの両親の両方側の家族と今後の方針を話し合い、今後のすべてがうまくいくように儀式が行われました。本当によかったと思います。もつれた糸がするするとほどけるように、物事が良い方向に向かっていくようになったと感じています。

お母さんの状態が悪くなったのは、インド行きの具体的な日程が決まってからでした。お母さんのもとに次から次にたくさんの人々から電話がかかってきて、「死んだおじいさんが夢に出てきて、インドに行ってはならないと言った」「腎臓は買えばいいではないか」などいろいろなことを言われ、それによってお母さんは混乱をきたし、体調も悪くなり、精神状態が大変悪くなってしまいました。2月にナイロビで闘病をはじめてからすぐに、カテンベの病気の状態や手術のことなど詳しいことを私たちは両親に説明し、双方の家族全員にそのことを伝えて了解をもらって欲しいということを両親にお願いしていました。それはお父さんがすべての人々に伝えると言い、村に帰って家族会議をしていたはずでした。それなのにこのような問題が起こるというのは、村の人々が事情をよく把握していないのではないかと思われました。なので今回は、私と匡哉が先導して会議を行うことにしました。

子供たちには聞こえないように、マテラさんの家に集まって話をしました。双方の家族から最も近親の人々が集まりました。かなり遠くから来てくれた家族もいました。

カテンベのお父さんは同じ母親からの兄弟姉妹が全部で17人だったということですが、今ではその半分くらいしか存命していません。お母さん側は同じ父親からの兄弟姉妹が23人ですが、こちらも何人かはすでに他界しています。両方とも、両親はすでに他界していますが、腹違いの兄弟姉妹などの数がとても多いため、大家族です。

まずは私からこれまでの経緯と現状を話しました。みんなとても熱心に聞いてくれました。長い時間をかけて説明をしたら、とてもよく理解してくださったと思います。私が重要だと思ったポイントは以下です。

1)2月にナイロビに来た時点で、腎臓のひとつは完全に消滅しており、もうひとつはほとんど機能していない状態だった。医者には「腎不全の末期」だと言われ、このまま放置したら死は目の前だと言われた。

2)助けるためには、腎臓移植手術を受けるしか方法はないと言われた。それまでは透析で命をつなぐしかなく、その日からすぐに入院して透析をはじめた。

3)透析治療にかかる費用の説明。2月から現在までにかかった費用の説明。

4)腎臓移植手術がどういうものかという説明と、それにかかる費用の説明。手術後に一生かかってくる費用の説明。

5)どのようにこの資金を得ているかという説明。日本の善意の人々に支えられている基金で、どのような方法で募金を生み出してくれているかという説明。

6)私たちがこれまでに試みたことについて、新聞記事やチラシなどを見せながら説明。

7)腎臓を提供したいと両親が申し出たが、血液型の関係で父親は提供者になれず、母親は提供者になれることがわかった。母親は自らの決断で提供したいと申し出たものであり、私たちが強制したことではない。

8)腎臓を「買う」ことは世界中どこでも不可能なのだということを説明。

9)ケニアで手術する場合と、インドで手術する場合の、何が違うかということについての説明。かかる費用の違いや、件数の違いなど。そのような情報によって総合したら、インドで手術を受けるのがベストなのではないかと思ったこと。しかし私たちとしては本人と提供者(母親)の意志を最も尊重したいということ。

10) これまで私と匡哉(基金側)が独断で何らかの判断を行ったことは一度もなく、必ず両親と共に話し合いをした末に両親の意見を尊重して方向性を決めていたこと。



・・・・と、以上の事柄を特に重視して伝えた末に、双方の家族としての決断を教えて欲しい、とお願いしました。私たちは家族の意に反することは決してするつもりはないし、方向性は家族が決めるべきだと思う。だけどしかるべき情報がなければ、憶測で不安だけが高まり、適確な判断ができない。だから今日はできるだけ詳しい情報を提供して、その上で家族側の方針を打ち出してもらうためにここに来た。とお話しました。

だけど私はカテンベと、カテンベの両親の願いというのが最も優先されるべきであると思うので、彼らの話をまずは聞いてもらいたいと言いました。

そうして、お父さん、お母さんがみんなの前で話をしました。

● お父さんの話

一番大切なことは、カテンベの命が助かることだ。これまで自分の息子はさんざん苦しんできた。移植手術を受けるしか方法はないと判断した。自分が腎臓提供をしたかったが、血液型が違うので提供者になれないことがわかった。自分の妻が提供者になることには異論はない。自分はこの大変なときに家族のめんどうをしっかりみようと決意した。とにかく助かって欲しい。

● お母さんの話

自分が腹を痛めて生んだ子供です。その子を何としてでも助けたいというのが私の願いであり、自分の意志で腎臓提供をすることを決意した。これは自分の心底の願いから生まれた決心であり、誰に強制されたものでもない。最初はインドに行って手術することでよいと思っていた。それなのにたくさんの人が自分の精神を惑わした。もうこれ以上、いろいろなことを言われたくない。私が自分の意志で提供したいのだからわかって欲しい。しかし手術はインドではなく、ナイロビで行いたい。インドのように遠く離れたところに行ってしまうと、家族と心をつなげあうことができなくて不安。ナイロビであれば同じケニアの中だから、何かあってもすぐに家族が駆けつけてくれるし、一部始終を見守ってもらえるから安心感がある。自分が提供したいという決意は、どんなことがあっても変わらない。



以上の内容で、両親の必死の訴えでした。それを聞いてから、双方の家族が話し合いをしました。しかし、ここまで話を聞いたら、すべての人が同じ気持ちになったようでした。

「手術をさせて欲しい」「成功するように家族側は精神的なサポートをする」「家族の方針としてこのように決断したということをコミュニティ全体にアナウンスして、理解しない人がいるようであれば自分たちが説明をして、お母さんには精神的負担をかけないようにする」などという話が出て、結局、満場一致で「手術をする」という方向に決断がされました。お母さんの意志を尊重して、インドではなく、ケニアで手術をするということで結論が出されました。

その後、全員の前の前で3者が「誓約書」にサインをしました。この3者というのは、1.基金側(代表として大西匡哉と早川千晶) 2.両親  3.2家族の代表責任者としてマテラ氏

の3者で、ナイロビの弁護士に誓約書を作成してもらい、裁判所からの承認印をもらった書類です。誓約書の内容は、提供者は自らの意志で腎臓を提供するということ。それに対して夫も2家族も異論はないということ。基金側は、手術に関して金銭的なサポートをするということ。手術や受ける医療内容に関して、何らかの判断を下さねばならない場面において、大西と早川にその決断を委任すること。ということが書いてあります。

この誓約書の前にナイロビで、カテンベと、お母さんとの間の誓約書も取り交わされていました。

この話し合いは夜遅くまでかかりましたが、その場に居合わせた全員が納得し、心をひとつにすることができました。それぞれの家族の代表者が、これからさらに広範囲の家族メンバーへと告知をするための会を行うということになりました。カテンベのお母さんにとって、力強い精神的な後ろ盾ができたというかんじで、とても心強く感じたようでした。

どんなに決意したとはいっても、やはり、本人にとっては不安と恐怖でいっぱいのはずです。それに前向きに立ち向かっていけるのは、家族の精神的なサポートがあってこそのことだと思いました。

私たちは、日本でいかに多くの人々がカテンベを支えてくれているかということ、その人たちがどんな想いで、どんなふうに募金をしてくれているかということを切々と語りましたが、それは家族の皆さんにしっかりと通じたように思いました。それからあとで、この家族会議に出席したメンバーが、地域の人に説明をしているのを聞きましたが、とても真剣に、実感こもったしゃべり方で、お母さんをサポートするためのことを話していました。そして、私たちの手を握って、「どうか助けて欲しい。この子を助けてあげてくれ。自分たちにはもうどうしようもできない。」と涙ながらに話しかけてくれたおばあちゃんもいました。

(次に続く。)
[PR]
by keep_music | 2006-08-29 13:31 | 経過報告
<< 近況報告(カテンベの村での家族... 近況報告2006年8月23日 >>