近況報告(カテンベの村での家族会議2)2006年8月27日
早川千晶

カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
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カテンベの家には人があふれかえっていた。

(2からの続き)

近親者の話し合いが終わって翌日。朝早くから儀式の準備がはじまりました。これはカテンベの父親が主催する儀式です。お父さんの話によると、こうです。





「結婚してから3年間、子供ができなかった。そのときに自分はこう言った。子供を授かったあかつきには、自分はヤギをほふって人々に振る舞い、センゲーニャ(ドゥルマ民族の重要な伝統音楽)で盛大なお祝いをすると。その後、マシカ(カテンベの姉)が生まれ、カテンベが生まれ、バカリ、アミナ、メジラも生まれたのに、自分はその約束を果たさなかった。そのせいでカテンベは病気になってしまった。自分はその許しを乞わなければならない」
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カテンベと家族


お父さんはとても真剣でした。やるべきだったヤギのごちそうとセンゲーニャを今度こそしっかりと果たして、その上で、これからすべてのことがうまくいくようにみんなで心をひとつにして祈るのだと。

朝は、家族全員を集めて、お父さんの長く真剣な祈りからはじまりました。そしてヤギがほふられ、準備開始。昼にはごちそうが出来上がり、家族全員や近所の人々が集まり、ンゴマがはじまりました。
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ンゴマがはじまった。


カテンベとカテンベの弟姉妹たちは一箇所に集められ、ンゴマの場の前に座らされました。男性たちがタイコを叩き、女性たちが歌って踊ります。匡哉もその中で一緒にタイコを叩きました。ンゴマ・ザ・ペポ(精霊のためのンゴマ)がはじまってほんの数分で、女性たちのひとりにペポが降りて、憑依しました。(カテンベの父親のお姉さんです。)
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ペポが憑依したカテンベの父のお姉さん


憑依した彼女は体を震わせ、泣きながら叫び、ペポがしゃべります。それに対して、周りの人々は受け答えをして、ペポと会話をしていました。

またタイコが鳴り始め、女性たちは小刻みにステップを踏んで激しく踊りはじめました。歌声も激しくなっていきます。カテンベの母親も一番前で踊っていました。村中の人々がその様子を見守っています。
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踊る女性たち。(真ん中がカテンベの母)


薬草を浸した水で子供たちの頭から体までが何度も清められます。踊る人々やタイコを叩く人々も、何度もこの水を頭や顔にかぶります。

やがて、ムゼーマサイの名を呼んでセンゲーニャがはじまりました。ムゼーマサイはカテンベのおじいさんで、偉大な人物でした。センゲーニャをつかさどる巨匠であり、この地域の人々の精神的リーダーと呼ぶべき長老でした。

センゲーニャは、先祖の霊に呼びかけたり慰霊などのために行われるンゴマです。人々のテンションがどんどん上がっていきます。カテンベの両親は両方とも激しく踊りました。

最後にはカテンベの父親が大きな声でスピーチをしました。長く迫力あるスピーチでした。長い間病気に苦しんできた息子に元気になってもらいたい。そのために、どうか皆さん心をひとつにして共に祈ってください。協力してください。という、切なる気持ちのこもったスピーチでした。
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お父さんのスピーチ。



そのあとは、全員がご馳走を食べ、その食べた手を洗わずにそのまま、子供たちの頭や顔や体になすりつける、ということが行われました。

このンゴマの「場」に、私はとても強烈なショックを受けました。これまでに何度もこのようなンゴマの場に触れさせていただいたことはあります。しかし今回は、カテンベのためのンゴマでしたから、私たちもその中に当事者として身をおかせていただき、そのリアリティが現実のものとしてひしひしと迫ってきました。頭がクラクラして、私は倒れてしまいそうでした。言葉にすることもできないような、大変なショックを受けました。体中が震えて止まらなくなりました。

一気に、頭の中に様々なことが駆け巡りました。

その前日から、カテンベの家でたくさんの家族の人々に出会いましたが、次から次に挨拶してくれる家族の厚みに圧倒される想いでした。これはだれそれの子供で、これはだれそれのお姉さんの子供。これはだれそれの母親の腹違いの弟の子供。という具合に、綿々たる血族の膨大な流れに一気に出会うことになりました。そうやって説明される際に、自分は17人兄弟姉妹で男兄弟は7人だったけど今は2人しか残っていない。この人は14人子供を産んだが今は8人しか残っていない。という具合に詳しく紹介してくれて、そのまわりにはものすごくたくさんの子供たちがあふれていて。

たくさん生まれてたくさん死んで、そしてそうやってたくさんの生と死が流れていく場が彼らにとっての「ごく普通の」生活の場であり、カテンベのような難病ではなくても、簡単にあっけなく死んでいかねばならなかった子供が今までにどれだけたくさんいたことでしょう。

そのような状況を彼らは享受して生きてきた。それでも、子を失う親の悲しみや、兄弟姉妹を失う子供たちの悲しみは、世界中の誰もが同じ痛みであるし、どんなにたくさんの子供がいようとも、一人ひとりの命というのはとてつもなく重たいものです。ありとあらゆる方法で、何とか助けたいと思って様々な試みをしてきたことでしょう。そんな彼らの日常の中に、このンゴマの世界は大きな存在感を持って生き続けている。

なんというか、このンゴマから、アフリカ世界の底知れぬ凄さのようなものを感じました。迷信とかなんとか言って片付けることなんか到底できない、彼らの生活の中に脈々と流れている何か。
私たちはカテンベの命を救いたいという一心で、彼らの世界とはかけ離れたところにあるような、臓器移植という選択に踏み切ることになりました。そういう流れを作り出したことに対して、あらためて大きな責任を感じました。彼らにとって、腎臓移植というのは容易にイメージできる事柄ではなく、だからよけいに大きな恐れや不安があったことでしょう。それでも、家族会議のときに、村から出てきたおばあちゃんたちが、涙を流しながら「この子を救って欲しい。あなたたちにまかせるから。この子の状態は、もう私たちの力の範囲を超えてしまった。私たちにはもう、彼を救う力はない。」と言って、私たちの手を握り、抱擁しました。匡哉は、「そんなことはない。あなたたちの力が必要だ。一緒にがんばりましょう」と言いました。
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カテンベの姉、妹、弟。(左から、姉のマシカ、カテンベ、妹のアミナ、弟のバカリ、妹のメジラ)


カテンベの命を何としてでも救いたい、という気持ちは、私たちの中で強烈に沸きあがっていった想いで、それがなぜなのかというのは説明もつきません。私たちの呼びかけに応えてくれて、日本のたくさんの人々が動いてくださいました。多くの方々が、深い想いを寄せてくださいました。それと同時に、死なせたくない、カテンベが元気になって幸せになってもらいたいという想いは、家族の人々こそが最も強烈に感じてきたことでしょう。このンゴマの場の中で、こういう想いがみんなひとつになっていくような感覚を持ちました。たくさんのたくさんの人々の顔が私の目の前に浮かんできて、ひとつにつながってぐるぐると渦を描いていくようなかんじがして、めまいがしました。

ンゴマのあと、カテンベはたくさんの人々の声援と涙と抱擁に見送られて、村を出発しました。家を出て行くとき、全員で祈り、家の前の石段にココナッツの実が叩き割られ、地面に染み込んだココナッツの水の上をカテンベは一歩踏み出して、出発しました。お母さんも泣いていました。

これからは、手術に向けてとにかく出来る限りのすべてを尽くして、全力を尽くしていきたいと思います。

モンバサの空港でチェックインしてから、飛行機に乗る前の待合室で、カテンベは突然、とてもすっきりした表情でこう言いました。

「僕にはわかったことがある。2ヵ月後に僕の病気は治る」と。

「なぜわかるの?」と聞くと、「神様がそう言っている」と言います。

「神様はどうやってそれを言ったの?」と聞くと、「僕にはわかるんだ。とにかくそうわかっているんだ」と言いました。すごく確信のある話し方でした。


ナイロビでの手術日を、10月26日に設定して、本格的な準備がはじまりました。いよいよこれからです。どうか皆さんこれからもカテンベを応援してください。どうかよろしくお願いいたします。


早川千晶
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by keep_music | 2006-08-29 13:56 | 経過報告
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