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近況報告2006年12月5日
早川千晶

カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介
基金口座振込み先
UPEPOアフリカの風ネットワーク


ジェニアちゃんとママジェニアが今週の金曜日にルワンダに帰ることになりました。

故郷に帰れるのはもちろんめでたいのですが、私たち一同、かなり複雑な心境です。

なぜならば、帰国後の薬のめどがたっていないせいです。





元NGO職員で今はナイロビで生活しているゆきえさんが、どこかから薬の支援を受けられないか、あちこち調べ上げてくれました。ところが、個人に対する支援をしているNGOはめったになく、しかも、ジェニアやクレアやカテンベのように高額医療が必要な子供に対しての支援をしているところはまったく見つかりません。

ドクタームォンゲラに相談したところ、大変同情してくれて、いくつかのNGOを紹介してくれました。ドクターは、「カテンベたちのストーリーを話したら、きっとわかってもらえるよ。特にカテンベに関しては、ここまで個人個人の心のつながりだけで支えてきたんだ。それを評価してくれてここから先の薬代や学費の支援をしてくれる団体が、きっと見つかるよ。彼らのストーリーを詳しく書いて送ってみなさい」と言ってくれました。だけど現実には、調べれば調べるほどわかってきたのは、大きな組織のNGOであればあるほど、このような個人に対しての支援をしてくれるところはなかなかなく、お話を届かせるのもとても困難だという傾向があることです。小さなNGOだと、資金がないからよけいに難しいです。エイズ患者に支援するところはいろいろあるのですが、腎臓病に関しては、支援をしている団体は見つかりません。

カテンベの場合、月額の薬代は約7万シリング(約12万円)で、毎月しなければならない血液検査と診察料が月額2万シリング(約3万4千円)ほどかかり、彼のような状態の子供を受け入れてくれる寄宿舎や学校も限られており、移植腎臓の拒絶反応を抑えるために免疫抑制剤を大量に飲んでいる彼には村の環境で生活するのも危険があります。また、カテンベの場合は、病気だった期間がかなりの長期だったせいで極度の発育不全なので、腎臓移植をして命の危険はなくなったものの、歩行は相変わらず困難で体力もないため、通常の生活はできません。今私たちは、学校探しや、今後の方針を決めるための会議を村の家族たちともさかんに行っていますが、カテンベを受け入れてもらえる学校を得るというのがこんなに難しかったのだということに愕然としています。状態の良い清潔な寄宿舎で、食事が良く、常駐の看護婦がいて、契約している医者がいて緊急時には助けてくれて、ムウォンゲラ医師にすぐにコンタクトできるナイロビ近辺でなくてはならず、常駐の看護婦がいる学校でさえ、「寄宿舎は病院ではないから、健康に問題がない子供しか受け入れられません。カテンベのような身体状態の子は、難しいです」と言われてしまいました。それでも、「難しいけれど、やってみましょう」と言ってくれた学校がありました。そこは私立の学校で、少人数制だからなんとかカテンベのケアもできるだろう、と言ってくれたのですが、それでも、とにかくトライしてみてダメそうであればあきらめてもらうしかないと言われました。そして、そうやって受け入れてくれるような学校は、費用もとても高いです。

ジェニアちゃんとママは、今後の薬代について途方に暮れており、退院時に渡された薬もあと数日で底をつくという状況です。「神様はいる。神様が何とかしてくださるはずだ」とママは言い続けていますが、カテンベは、「確かに神様はいるけど、薬に関してはお金で買わないといけないからなぁ。」とため息をついていました。

ジェニアやクレアの場合は、ナイロビに運ばれてきたときには瀕死の重体でしたが、カテンベのように長期間わずらっていたわけではなく、3~4年の間に急激に悪化していった病気なので、ジェニアの移植後の状態はカテンベよりもずっと良く、歩行や生活なども一見普通の人とほとんど変わりはありません。カテンベの場合は一見して普通の状態でないとわかるほど歩行困難で体が不自由なので、見学に行った学校ではカテンベを一目見ただけで「これでは無理なのではないの?」と言われてしまいました。

ジェニアの場合は、村に帰っても、薬さえあれば何とか普通の子供たちのように暮らしていくことができるでしょう。ドクターに、「薬を買えなかったら、どうなるの?」と聞いたところ、「4ヵ月後にはまた確実に腎不全に陥るでしょう」と言われました。それを聞いて私は真っ青になりました。お母さんが腎臓をくれたから、痩せ細って目もうつろだったジェニアは、とてもイキイキとピカピカと元気になることができました。その大切な腎臓が、4ヶ月で死んでしまうなんて。

ゆきえさんが必死であちこち探してくれたけど、虐殺遺児を支援している団体でも高額医療には一切支援をしてくれず、あと数日しか時間がないのにほぼお手上げの状態です。

毎日夕方ごろにはカテンベと匡哉の部屋にジェニアやママやクレアなど全員が集まり、みんなで映画を見ます。みんな、楽しい映画が大好きなのですが、ちょっとでも暴力シーンがあるような映画では、そんなシーンにママやクレアが異常反応するんだと匡哉が言っていました。例えば、ジャッキー・チェンの映画とか、その程度でも、ちょっと殴ったり乱闘になったりするようなシーンがあると、ママやクレアは震えて、泣き始めます。

昨日は、私がこの前ドゥバイで買ってきた「ホタルの墓」の英語版をみんなで見ました。戦時中に飢えで死んでしまう兄妹の物語を描いた宮崎アニメです。

お兄ちゃんが妹のために畑でイモを盗んでいるところを見つかり、殴られるシーンや、空襲のシーンなどでクレアとママジェニアは震える声を上げてつっぷして泣きました。

泣いて泣いて、最後まで泣き続けて、最後の、妹が死んで野原で焼くシーンではもう画面を見ることはできず、神様、神様と言い続けて顔を隠していました。

アニメでまさかこれほどのショックを受けるとは思ってもいなかったので、私も愕然としました。ルワンダの虐殺を目の前で経験した、そして家族が次々と殺されていった恐怖と悲しみは、長い時間がたっても、そして今の毎日が平和であっても、決して癒えることがないのでしょう。

これまでカテンベ救済基金の窓口をしてくださっている仙台のNPOアマニ・ヤ・アフリカの石原さん親子に、今後どうしていったらいいかということを相談しました。手術を実現することができ、カテンベが命を取りとめることができた、これが第一幕として、これからは、新しい命を得たカテンベがしっかりと生きていくことができるように、そして、将来自立していくことができるように、そして、こうして多くの人々に支えられて取りとめた新しい命を何らかの形で社会に還元していくことができる存在に成長するために、これから長い第二幕がはじまるので、引き続き、カテンベ基金を続けていきましょう、と言っていただきました。

カテンベが、そんな自覚を持ってこれからの人生を生きていくように、私たちもそばで彼の成長を見守り、助け、語り続けていきたいと思います。そして、彼が生きている一瞬一瞬に、彼は周りの人間に様々な形で影響を与え、伝えていくメッセージがあると信じます。

どうか皆さん、心からのお願いです。カテンベの人生を応援してください。

アマニ・ヤ・アフリカを窓口として、カテンベ基金は継続していくこととなりました。今後の彼の医療費、そして教育にかかる費用を、支えていきたいと願っています。

どうかよろしくお願いいたします。

そして、上記のジェニアちゃんについて、何か有効な情報をお持ちの方、個人的にでもジェニアちゃんの薬代を支援したいという方がいらっしゃったら、どうか私にメールでお知らせいただけますと幸いです。今日は、ジェニアちゃんのために他にもっと安い薬の組み合わせがないかどうかを調べてきます。

世界中の子供たちが平和に幸せに笑顔でいられますように。

早川のメールアドレス ecotour@gol.com

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手術当日、最後の透析を受けるジェニアちゃんとママ

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ジェニアちゃん、今年の9月13日。
ルワンダからやってきて2ヶ月、透析を受け続けてだいぶ元気になってきた。

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腎臓移植手術後2ヶ月たったジェニアちゃん。
(今年の11月29日撮影)

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カテンベの手術前日に、カテンベとジェニア
(ジェニアは手術後1ヶ月の写真)

by keep_music | 2006-12-09 21:02 | 経過報告
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