早川千晶
カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって カテンベの紹介 基金口座振込み先 UPEPOアフリカの風ネットワーク 「祝! カテンベ復学!」 カテンベ手術から、4ヶ月近くたちました。 2月4日(日)に、カテンベは長い住まいとなっていたナイロビ病院ホステルを出て、ナイロビ郊外にあるSt.Christopher School の寄宿舎に引っ越しました。そして、翌日の2月5日からは、この学校の小学5年生に編入しました。 寄宿舎に移動した当日の、喜びいっぱいの写真をごらんください。 カテンベは、この1ヶ月くらいでめきめきと体力をつけました。そして思いのほか早く、復学することができました。 まだ様子みながら慎重に、というかんじではありますが、体育以外は、普通通りに授業を受けることができています。 長年、学校に行けなかったのだから、学校に戻ることができる日を心待ちにしていました。 ムウォンゲラ医師に、「もうそろそろ学校に戻って大丈夫だよ」と言われた日には、あまりにも興奮しすぎて、まったく眠れなかったようです。 村に帰ることは、衛生面での問題、マラリアなどの感染の心配、栄養状態を十分に整えられない心配、学校に歩いて通えないことなどがあり、恋しい生まれ故郷に戻ることはあきらめなければなりませんでした。 両親は、カテンベの闘病にかかりっきりだった生活を立て直すために、腎臓を提供してくれたお母さんの体力が回復した1月下旬にナイロビを引き払って帰郷しました。 一命を取りとめたカテンベは、村の子供たちと同じように生活していくことはできないけれど、新しくもらった命で、新しい人生を前向きに生きていこうとしています。 いろいろと調べて悩みに悩んだ結果、セント・クリストファー学校という私立学校の寄宿舎に入ることを決めました。 1クラスが20人程度という少人数制であること、衛生面や食事の栄養面がゆきどいている学校であること、複雑な事情のある子供に対して理解が深い学校であること、そして何より、雰囲気がとても明るくて温かい学校であることなどが決め手になりました。 経営者である素晴らしい先生が、腎臓病で生死の境を彷徨った人でもあり、カテンベの状況に対してもとても深い理解をしめしてくださって多大なサポートをしてくれています。 16歳で小学5年生から再スタートしなければならないこと、そして、長い間心身ともにとても大変な経験を経てきたこと、消耗しないように休み休み注意しなければならないことなど、復学するのは簡単なことではないけれど、カテンベは新しい生活に果敢に挑戦しています。 今は、すべてが楽しくてたまらない様子です。 お友達もたくさんできました。 寄宿舎に入った当日、10年生の年長の男の子が部屋にやってきて、「困ったことがあったら、何でも僕に言ってね」と声をかけてくれました。聞いてみると、彼は10年生(日本の高校1年生)だけど年齢は24歳だそうです。スーダンから来たのだとおしえてくれました。 カテンベのこれからの人生も、山あり谷ありでしょうが、1年前、瀕死の状態でも決してあきらめなかったカテンベだから、困難があってもひとつひとつ乗り越えて歩んでいくだろうと信じています。 生と死と背中合わせだった緊張の連続から開放され、今、未来に向けて夢や希望を持つことができるようになったカテンベ。すごい勢いで生命力を放っていて、まぶしいです。 これからほんとに楽しみです。カテンベ、がんばれ~っ! P.S. ルワンダ人のクレアちゃん、本日無事、妹のディアナから腎臓を提供してもらい、移植手術を終えました。 手術は成功。順調におしっこが出ています。 まだ20歳の妹が、お姉ちゃんの命を救うために腎臓提供を決意した、その勇気に涙が出る想いでした。 手術後のディアナ、クレアは、痛みに苦しんでいるけれど、笑顔を見せてくれました。その笑顔が、なんともいえない清らかな笑顔でした。 クレア、ほんとによかったね。 両親を虐殺で失い、自分たちもギリギリのところで子供同士助け合い、何とか生き延びることができた、その貴重な命だから、きっとお父さん・お母さんが天国から必死で守ってくれていますね。 子供たちだけで、畑の中で、何十日もの間、恐怖と寒さと飢えに苦しみながら隠れ、奇跡的に生き延びたのだそうです。 同じように隠れている子供たちが、たくさんいたのだそうです。だけど、闘いが終わったから出てきなさいと言われて出て行って、そのまま殺された子供たちもたくさんいたのだそうです。 どんなにか恐ろしい想いをしただろうかと思うと、心臓がしめつけられます。 これからクレアもめきめきと元気になり、楽しいことがたくさん待っている人生でありますよう、心から祈りたいと思います。 皆さん、心からの声援や励ましを、いつもほんとにありがとうございます。支えあって生きるあたたかさを、いつもかみしめています。 カテンベ救済基金は、仮称「アフリカ子供の未来基金」からあらためまして、「マイシャ・ヤ・ラハ基金」と命名され、東京在住の女性たちが会長・副会長になってくださることが決まり、新しく歩み始めることになりました。 これまで多大なご協力をいただいていた仙台のNPO「アマニ・ヤ・アフリカ」代表・石原さんが、快く新基金の代表も引き受けてくださることになっていましたが、ご高齢なこともあり、若い人に引き継いでいただくことを呼びかけてくださいました。 明るく前向きなエネルギーを放つ若手ホープの2人が大きく一歩を踏み出してくれて、その勇気に拍手! これからほんとに楽しみです。準備が出来次第、またお知らせしていきます。どうかこれからも応援してください。 (新基金の準備ができるまで、これまでと同じ「アマニ・ヤ・アフリカ」の口座で引き続き募金の受付を継続しています。) ちなみに、「マイシャ・ヤ・ラハ」とは、スワヒリ語で、「幸せな人生」。 新基金の会長になってくれた二本木さんがカテンベに、好きな言葉をおしえて、と呼びかけたときに、こういうメッセージが届いたのだそうです。 「Maisha ikona shida ,mimi pia nimepitiya mitihani mingi na yote nika pass. Rakini badae ,Mungu ataleta Maisha ya raha bila karaha. Alhamudu lilahi.」 (人生にもんだいは付き物。僕も沢山の問題をクリアしてきました。でもその後、何の問題も無い幸せな人生を神様がもたらしてくれました。神様に感謝します。) 私も何があってもへこたれずに、がんばっていきたいです。 これからもどうかよろしくお願いいたします。 早川千晶
by keep_music
| 2007-02-16 10:55
| 経過報告
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