カテンベ救済の呼びかけ
2007-12-16T13:48:41+09:00
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カテンベ腎臓移植基金
Excite Blog
「マイシャ・ヤ・ラハ基金」が立ち上がりました。
http://keepmusic.exblog.jp/7071868/
2007-05-15T13:38:00+09:00
2007-12-16T13:48:41+09:00
2007-12-16T13:42:14+09:00
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経過報告
カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介
基金口座振込み先
UPEPOアフリカの風ネットワーク
カテンベのこれからの人生を支える新しい基金、
「マイシャ・ヤ・ラハ基金」
が立ち上がりました。
(マイシャ・ヤ・ラハとは、スワヒリ語で「幸せな人生」という意味です。)
http://www.maisha-raha.com
2006年10月26日の腎臓移植手術後、順調に回復して新しい人生を歩みはじめたカテンベのこれからの人生を支えていけるよう、カテンベの支援を続けていきたいと思います。
とっても元気になったカテンベ。今では走り回っています。
カテンベがこんなに元気になり、しあわせな毎日を送れるようになったのは、とても多くの皆さんからご支援いただき、励ましていただいたおかげです。
本当にありがとうございました。
心から感謝申し上げます。
腎臓提供者であるカテンベのお母さんもこんなに元気になりました。
村に帰ってほっと一安心しています。
カテンベはこれからも、生きている「今」の喜びをかみしめながら、一生懸命歩んでいくことでしょう。
私たちはずっとそれを見守り、応援していきたいと思います。
これから一生を通じて必要になる高価な薬、衛生に細心の注意を払わねばならない生活や、自立をしていくために不可欠の教育など、カテンベにとってはこれからも様々な困難が待ち受けています。
ですが、ここまでがんばってきたカテンベは、決してへこたれずに苦難を乗り越えていくものと信じています。
そして、様々な困難を背負って苦しんでいる人々を励ますことができる人間になりたいとカテンベは言っています。
どうか皆さん、これからも応援してください。よろしくお願いします。
これからのカテンベの近況報告は、上記の新基金「マイシャ・ヤ・ラハ基金」のホームページを通じてお知らせしていきます。どうかぜひごらんください。
ありがとうございました。
早川千晶]]>
会計報告 2007年4月20日
http://keepmusic.exblog.jp/7071817/
2007-04-20T13:31:00+09:00
2007-12-16T13:37:23+09:00
2007-12-16T13:31:15+09:00
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会計報告
カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介
基金口座振込み先
UPEPOアフリカの風ネットワーク
前回の報告(13)で、「1月31日付けでカテンベ救済基金を閉じ、その残金を新基金に繰り越します」とお知らせしましたが、新基金の設立が遅れたため、1月31日で閉めることができませんでした。
カテンベ両親が1月末でナイロビを引き払って帰郷し、2月4日にカテンベがナイロビ病院ホステルを出てセントクリストファー学校の寄宿舎に入りました。
そのため、カテンベ入学までの経費を旧基金の会計報告に含め、それ以降の経費を、新基金の会計報告に含めるようにしました。
よって、2007年4月7日をもちまして、旧基金から新基金に残金の以降を行いました。新基金の名称は、「マイシャ・ヤ・ラハ基金」といいます。マイシャ・ヤ・ラハとは、スワヒリ語で「幸せな人生」という意味です。
マイシャ・ヤ・ラハ基金では、カテンベのみならず、カテンベ以外のアフリカの子供たちの医療、教育、生活に関わる支援を行っていきます。
カテンベそしてその他数多くの子供たちの、これからの人生をどうか応援してください。よろしくお願いいたします。
早川千晶
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会計報告14
2007年4月7日付け会計報告
●募金合計金額(日本&ケニア合計)4035IRs + 109.20Singapore$+US$859 + 10,160,929円+54,779ksh (=合計およそ1026万円)
●4月7日までの支出合計 5,589,543ksh (9,540,000円)
●2007年4月7日現在、日本側の口座の残高 882,367円 + ケニア側の残金 111,441円
合計金額 993,808円
がマイシャ・ヤ・ラハ基金(新カテンベ基金)へと移行されます。
(注:「募金合計金額」と「支出合計の日本円金額」との差額と、実際の残金との間に誤差がありますが、これは様々な通貨の為替レートによって生じる誤差です。為替差益が出て残高が増えています。)
******************
●現在の募金状況(2007年4月7日現在)
日本で集まった募金合計 9,185,369 円
ケニアで集まった募金合計 4035IRs + 109.20Singapore$+US$759 + 975,560円+54,779ksh
******************
募金状況:期間ごとの内訳
日本での募金
2006年2月20日~2月28日 239,000円
2006年3月1日~3月7日 828,685円
2006年3月8日~3月18日 316,490円
2006年3月19日~3月27日 85,000円
2006年3月28日~4月5日 494,700円
2006年4月6日~4月26日 688,891円
2006年4月27日~5月31日 852,845円
2006年6月1日~6月9日 87,824円
2006年6月10日~6月30日 546,838円
2006年7月1日~7月19日 494,420円
2006年7月20日~9月4日 2,292,275円
2006年9月5日~10月26日 1,473,970円 (日本ツアー2006で集められた分も含む)
2006年10月27日~12月11日 151,088円
2006年12月12日~2月22日 616,420円
2007年2月23日~4月7日 16,923円
ケニア(および日本以外)での募金
2006年2月20日~3月7日 7,000ksh + 30,000円
2006年4月12日 15,000円
2006年4月24日 1,500ksh
2006年4月30日 10,000円
2006年5月20日~25日 US$100 + 6,550ksh + 124,000円
2006年6月27日 10,000ksh
2006年7月 6日 500ksh
2006年8月1日 1,000ksh
2006年8月21日 4035Rs + 22.20Singapore$+US$201+63,146円
(54回ピースボート募金)
2006年8月21日 117,390円
(54回ピースボート・チャリティキーホルダー売り上げ)
2006年8月21日 70,470円
(54回ピースボート・チャリティポストカード売り上げ)
2006年10月20日 143,852円+1796ksh+US$ 300
(日本ツアー2006終了後、基金に振込みができずに現金でケニアに持参した分)
2006年10月26日 5,000ksh (Baba Saidi)
2006年11月 6日 3,000ksh
2006年11月25日 59,063円+US$ 158+450ksh+87Singapore$
(55回ピースボート募金)
2006年11月25日 205,431円
(55回ピースボート・チャリティキーホルダー売り上げ)
2006年11月25日 25,380円
(55回ピースボート・チャリティポストカード売り上げ)
2006年12月9日 17,983ksh (JIWEよりキベラCDMILELE売り上げ10%、9月22日~12月8日まで)
2007年1月26日 US$ 100
2007年3月21日 29,700円
(56回ピースボート・チャリティポストカード売り上げ)
2007年3月21日 82,128円
(56回ピースボート・チャリティキーホルダー売り上げ)
************************
これまでの支出
支出報告14 (2006年12月13日~2007年3月31日)
1)ナイロビ病院への支払い ホステル 4泊分
2月1日宿泊分~2月4日宿泊分まで 12,000ksh
2) カテンベ一家の交通費 村に帰る分 3,000ksh
3) カテンベ母親の薬代 2,541ksh
4) カテンベの薬代 cellcept以外4月上旬まで 107,415ksh
5) カテンベの薬代 cellcept 6月上旬まで 38,260ksh
6) カテンベ通院費 12月28日、1月25日 3.000ksh
7) カテンベ血液検査 12月21日、1月22日 16,940ksh
8) カテンベ入学金 1,000ksh
9) カテンベ学校デポジット(Caution money) 5,000ksh
10) カテンベ寄宿舎デポジット(Caution money) 10,000ksh
11) カテンベ学費 2月5日~3月30日 51,000ksh
12) カテンベ寄宿舎費 2月4日~3月30日 53,334ksh
13) カテンベ制服 4,065ksh
14) 学校用の靴と体育用の靴 1,948ksh
15) 文房具(ノート、ペン、定規など) 2,027ksh
16) ベルト 300ksh
17) 体操着 680ksh
18) 交通費(学校面接、入学、ハーフターム休み往復) 5,000ksh
19) 寄宿舎用 毛布、シーツ、ハンガー、枕、石鹸、タオルなど6,262ksh
20) カテンベ用携帯電話とプリペイドカード250sh分 4,049ksh
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合計 327,821ksh
支出報告1 429,493ksh(÷0.60 =715,822円)
支出報告2 79,072ksh(÷0.60=131,787円)
支出報告3 57,423ksh (÷0.58= 99,005円)
支出報告4 43,256ksh (÷0.58= 74,579円)
支出報告5 71,727ksh (÷0.58=123,667円)
支出報告6 108,612ksh(÷0.58=187,262円)
支出報告7 176,193ksh(÷0.58=303,781円)
支出報告8 113,122ksh(÷0.58=195,038円)
支出報告9 162,409ksh(÷0.58=280,016円)
支出報告10 1,707,074ksh (÷0.60=2,845,123円)
支出報告11 1,772,030ksh(÷0.58=3,055,224円)
支出報告12 141,782ksh(÷0.58= 244,452円)
支出報告13 399,529ksh(÷0.59= 677,168円)
支出報告14 327,821ksh (÷0.54= 607,076円)
----------------------------------------------------------------------------
支出累計 5,589,543ksh (9,540,000円)
●前回の報告(会計報告13)で報告したように、前回報告時点でケニア側に預かっている現金の残高は以下でした。
4035IRs + 109.20Singapore$+ 27,845ksh
●そこに、今回報告分のケニア側での募金金額 US$ 100と111,828円、日本口座からケニアのATMで降ろしたケニアシリング 280,000kshを足して、ケニアに預かっている現金は以下になります。
4035IRs + 109.20Singapore$+ US$100 +111,828円+307,845ksh
●このうち、インドルピー、シンガポールドル、USドルをケニアシリングに両替しました。
4035インドルピー=5011ksh
109.20シンガポールドル=4123ksh
US$100 = 6800ksh
-----------------------------------------------
合計 15,934ksh
●カテンベの両親が住んでいたキベラプラザのアパートを引き払いました。そこで、アパートのデポジットから修理代、ペンキ代が引かれた金額1,420ksh と、電気代のデポジット2,413ksh の返金がありました。
その返金の合計金額 3,833ksh
●それにより、ケニアで預かっている現金は、以下になりました。
111,828円+327,612ksh
●そこから会計報告14で報告した支出金額327,821kshを差し引きして、その残金をマイシャ・ヤ・ラハ基金の口座に振り込みました。
ケニア側での残金は、111,441円 になりました。
●4月2日、新口座への資金の以降がまだ完了していませんでしたが、カテンベのための薬が足りなくなり購入しなくてはなりませんでしたので、ケニアのATMで80,000シリングをおろしました。
この金額は、ケニア側であずかっているお金として、マイシャ・ヤ・ラハ基金(新カテンベ基金)の第一回目の会計報告で精算を報告します。
●2007年4月7日現在、日本の口座に残っている残高は882,367円
ケニア側での残金が 111,441円
この合計金額 993,808円
がマイシャ・ヤ・ラハ基金(新カテンベ基金)へと移行されました。
●マイシャ・ヤ・ラハ基金の新口座は、以下の通りです。この新口座で、これからも継続して募金の受付をしています。次回からは、マイシャ・ヤ・ラハ寄金のホームページ上で会計報告をさせていただきます。これからも引き続き、どうかよろしくお願いいたします。
寄付金送り先: 郵便貯金ぱるる
記号 10070 番号 17463211 名義 マイシャヤラハキキン
●マイシャ・ヤ・ラハ基金のホームページ(4月末日にオープン予定)
http://www.maisha-raha.com
]]>
カテンベ近況報告2007年2月15日
http://keepmusic.exblog.jp/4617185/
2007-02-16T10:55:00+09:00
2007-02-16T10:56:11+09:00
2007-02-16T10:55:13+09:00
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経過報告
カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介
基金口座振込み先
UPEPOアフリカの風ネットワーク
「祝! カテンベ復学!」
カテンベ手術から、4ヶ月近くたちました。
2月4日(日)に、カテンベは長い住まいとなっていたナイロビ病院ホステルを出て、ナイロビ郊外にあるSt.Christopher School の寄宿舎に引っ越しました。そして、翌日の2月5日からは、この学校の小学5年生に編入しました。
寄宿舎に移動した当日の、喜びいっぱいの写真をごらんください。
いよいよ学校に行くのだ!ワクワク・ドキドキでいっぱいの、制服姿のカテンベ。
カテンベは、この1ヶ月くらいでめきめきと体力をつけました。そして思いのほか早く、復学することができました。
まだ様子みながら慎重に、というかんじではありますが、体育以外は、普通通りに授業を受けることができています。
長年、学校に行けなかったのだから、学校に戻ることができる日を心待ちにしていました。
ムウォンゲラ医師に、「もうそろそろ学校に戻って大丈夫だよ」と言われた日には、あまりにも興奮しすぎて、まったく眠れなかったようです。
村に帰ることは、衛生面での問題、マラリアなどの感染の心配、栄養状態を十分に整えられない心配、学校に歩いて通えないことなどがあり、恋しい生まれ故郷に戻ることはあきらめなければなりませんでした。
両親は、カテンベの闘病にかかりっきりだった生活を立て直すために、腎臓を提供してくれたお母さんの体力が回復した1月下旬にナイロビを引き払って帰郷しました。
一命を取りとめたカテンベは、村の子供たちと同じように生活していくことはできないけれど、新しくもらった命で、新しい人生を前向きに生きていこうとしています。
いろいろと調べて悩みに悩んだ結果、セント・クリストファー学校という私立学校の寄宿舎に入ることを決めました。
1クラスが20人程度という少人数制であること、衛生面や食事の栄養面がゆきどいている学校であること、複雑な事情のある子供に対して理解が深い学校であること、そして何より、雰囲気がとても明るくて温かい学校であることなどが決め手になりました。
経営者である素晴らしい先生が、腎臓病で生死の境を彷徨った人でもあり、カテンベの状況に対してもとても深い理解をしめしてくださって多大なサポートをしてくれています。
16歳で小学5年生から再スタートしなければならないこと、そして、長い間心身ともにとても大変な経験を経てきたこと、消耗しないように休み休み注意しなければならないことなど、復学するのは簡単なことではないけれど、カテンベは新しい生活に果敢に挑戦しています。
今は、すべてが楽しくてたまらない様子です。
お友達もたくさんできました。
ルームメイトのお友達と。左から、ヘンリー、イギー、カテンベ。
寄宿舎に入った当日、10年生の年長の男の子が部屋にやってきて、「困ったことがあったら、何でも僕に言ってね」と声をかけてくれました。聞いてみると、彼は10年生(日本の高校1年生)だけど年齢は24歳だそうです。スーダンから来たのだとおしえてくれました。
カテンベのこれからの人生も、山あり谷ありでしょうが、1年前、瀕死の状態でも決してあきらめなかったカテンベだから、困難があってもひとつひとつ乗り越えて歩んでいくだろうと信じています。
生と死と背中合わせだった緊張の連続から開放され、今、未来に向けて夢や希望を持つことができるようになったカテンベ。すごい勢いで生命力を放っていて、まぶしいです。
これからほんとに楽しみです。カテンベ、がんばれ~っ!
P.S. ルワンダ人のクレアちゃん、本日無事、妹のディアナから腎臓を提供してもらい、移植手術を終えました。
手術は成功。順調におしっこが出ています。
まだ20歳の妹が、お姉ちゃんの命を救うために腎臓提供を決意した、その勇気に涙が出る想いでした。
手術後のディアナ、クレアは、痛みに苦しんでいるけれど、笑顔を見せてくれました。その笑顔が、なんともいえない清らかな笑顔でした。
クレア、ほんとによかったね。
両親を虐殺で失い、自分たちもギリギリのところで子供同士助け合い、何とか生き延びることができた、その貴重な命だから、きっとお父さん・お母さんが天国から必死で守ってくれていますね。
子供たちだけで、畑の中で、何十日もの間、恐怖と寒さと飢えに苦しみながら隠れ、奇跡的に生き延びたのだそうです。
同じように隠れている子供たちが、たくさんいたのだそうです。だけど、闘いが終わったから出てきなさいと言われて出て行って、そのまま殺された子供たちもたくさんいたのだそうです。
どんなにか恐ろしい想いをしただろうかと思うと、心臓がしめつけられます。
これからクレアもめきめきと元気になり、楽しいことがたくさん待っている人生でありますよう、心から祈りたいと思います。
皆さん、心からの声援や励ましを、いつもほんとにありがとうございます。支えあって生きるあたたかさを、いつもかみしめています。
カテンベ救済基金は、仮称「アフリカ子供の未来基金」からあらためまして、「マイシャ・ヤ・ラハ基金」と命名され、東京在住の女性たちが会長・副会長になってくださることが決まり、新しく歩み始めることになりました。
これまで多大なご協力をいただいていた仙台のNPO「アマニ・ヤ・アフリカ」代表・石原さんが、快く新基金の代表も引き受けてくださることになっていましたが、ご高齢なこともあり、若い人に引き継いでいただくことを呼びかけてくださいました。
明るく前向きなエネルギーを放つ若手ホープの2人が大きく一歩を踏み出してくれて、その勇気に拍手! これからほんとに楽しみです。準備が出来次第、またお知らせしていきます。どうかこれからも応援してください。
(新基金の準備ができるまで、これまでと同じ「アマニ・ヤ・アフリカ」の口座で引き続き募金の受付を継続しています。)
ちなみに、「マイシャ・ヤ・ラハ」とは、スワヒリ語で、「幸せな人生」。
新基金の会長になってくれた二本木さんがカテンベに、好きな言葉をおしえて、と呼びかけたときに、こういうメッセージが届いたのだそうです。
「Maisha ikona shida ,mimi pia
nimepitiya mitihani mingi na yote
nika pass.
Rakini badae ,Mungu ataleta Maisha
ya raha bila karaha. Alhamudu
lilahi.」
(人生にもんだいは付き物。僕も沢山の問題をクリアしてきました。でもその後、何の問題も無い幸せな人生を神様がもたらしてくれました。神様に感謝します。)
私も何があってもへこたれずに、がんばっていきたいです。
これからもどうかよろしくお願いいたします。
早川千晶
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会計報告 2006年12月12日
http://keepmusic.exblog.jp/4038195/
2006-12-13T11:39:01+09:00
2006-12-13T11:39:01+09:00
2006-12-13T11:39:01+09:00
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会計報告
カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介
基金口座振込み先
UPEPOアフリカの風ネットワーク
10月26日の腎臓移植手術から、もうすぐ2ヶ月になります。
今はまだカテンベには普通に生活したり学校に通いはじめられるような体力はありませんが、これから数ヶ月のうちにもっと状態は良くなると期待しています。
そして、腎臓提供者である母親は、順調に回復しており、1月下旬にはナイロビを引き払って村に帰ることができると主治医から言われました。 そこで、1月31日にはカテンベ一家のナイロビでの生活の場になっていたキベラプラザ(アパート)を引き払い、カテンベ一家への生活援助を終了させる計画にしています。一家は村に帰り、生活の建て直しをします。(カテンベにかかりきりだった生活を立て直して、社会復帰せねばなりません。)カテンベはひとりでナイロビに残り、新しい生活をはじめます。
今後カテンベにとっては、キベラで生活することも、村で生活することも出来ないということがわかりました。その理由は、衛生状態が悪いため、移植腎臓の拒絶反応を抑えるために多量の免疫抑制剤を飲んでいるカテンベにとっては感染の危険があるためです。肺炎や下痢、マラリアなどはカテンベにとっては即刻、命取りになります。カテンベは人ごみなどをできるだけ避けなければならず、衛生状態の良い場所に住み、良い食事を取り、疲労を避け、月に1~2回の血液検査をして月に2回医師の診断を受けねばなりません。
カテンベの状態に対応できる医師はナイロビにしかおらず、500km離れた村から通院することは不可能。そして、極度の貧困状態にあるカテンベの両親にとっては、カテンベのために清潔な生活環境を整備したり、栄養のある食事を提供することができません。
この2ヶ月間、カテンベ本人、カテンベの両親、村の家族たちと何度も話し合いを重ねてきましたが、以上の理由でカテンベは村でもキベラでも生活していくことができないので、カテンベの母親の状態が回復次第、家族は村に帰り、村の普通の生活に戻り、カテンベだけがナイロビに残って新生活をはじめることになりました。
そこで、その新生活に向けての準備と、新しいカテンベの人生を応援するための新体制を作る作業をはじめました。
今後のカテンベが必要な費用は、急病などの緊急時を除いては、薬代・医療費・教育費・生活費と、計画的に予測が立てられる費用が基本になりますので、これまでと違って、年間計画を立てることが可能になります。
また、「継続して応援を続けたい」「今後もカテンベの人生に関わっていきたい」「カテンベだけではなく、他にも困難な状況にある子供たちの支援をしていきたい」という声を、多くの方々からいただきました。
そこで、これまでの、カテンベの命を救うために緊急に手術費用の呼びかけをしていた「カテンベ救済基金」は、年末でいったん閉めて、そしてその最後の残高を、新しい体制になる新カテンベ基金へと移行させて、2007年1月1日から新カテンベ基金を発足させることで準備をはじめています。
新カテンベ基金は、まだ名前を決定させていませんが、「カテンベ子供の未来基金」はどうかな?という提案を今日したところです。
構想としては、カテンベひとりだけではなく、他にも苦しい状況にある子供たちを支援していける形にすることです。
恵まれない状況にある子供たちの食費・教育費をサポートできるよう、特に、貧困のせいで進学を断念せねばならないような孤児などの子供たちのためのセカンダリースクール奨学金を行おうと思っています。
カテンベを通じて広がった輪だから、基金の名称にカテンベの名前を残したいと思います。今後のカテンベの基本的な医療費と教育費の支援のほか、セカンダリースクールの奨学金、貧困児童と孤児たちのための給食支援、緊急で単発の医療費の支援をしていく計画で、まずは年間目標を300万円で設定してはじめたいと思っています。
新しく生まれ変わるカテンベ基金では、私たちケニアの仲間たちもサポーターになります。例えばキベラスラムのマゴソスクールやマシモニ・ユースグループ、ドゥルマ民族のマテラ長老一族も、CDの売り上げ、スタディツアーの収益、チャリティグッズの売り上げ、イベントの収益を、カテンベ基金に寄付していこうということになりました。
また、日本側では、仙台のNPOアマニ・ヤ・アフリカが引き続き窓口を引き受けてくださることになりました。
これまでと同じく、有志の方々の不定期の募金も大歓迎ですし、「継続的な関わりを持ちたい」と言ってくださった方々の熱心なご要望にお答えして、継続的なサポーターのシステムも作ることになりました。(マンスリーサポーターのシステム。)これは、日本側で取りまとめ役を引き受けてくださる方が名乗りをあげてくださったので、近日中にシステムを整えて、皆さんに公表したいと思います。少々お待ちください。
私も引き続き、チャリティグッズやCD制作と販売、スタディツアーやイベントなどを企画していき、カテンベ基金をサポートしていきたいと思っています。
どうか皆さん、これからも引き続きご協力いただけるととても嬉しいです。
いろんなアイディアを駆使していければと思います。
そしていつか、カテンベが大人になり、自立することができ、そしてカテンベ自身が多くの子供たちを助ける日がくるだろうと、そんな日のことが心から楽しみです。カテンベ自身もとても張り切っています。
どうか応援してください!
ところで、今年9月22日に発売を開始したキベラの子供たちのニューアルバム「MILELE」(カテンベも1曲参加しています)ですが、おかげさまで細々とですが順調に売れていて、好評をいただいています。12月7日にキベラにて、第一回のMILELE売り上げ報告会を開きました。そこでカテンベ基金への10%の寄付の第一回目を得ることができました。この場を借りまして、皆様にお礼申し上げます。ありがとうございました!これからもどうかよろしくお願いいたします。
今回ご報告させていただく会計報告13は、カテンベ一家がナイロビの住まいを引き払って村に帰ることになる1月31日をめどとして計算してあります。
この時点で、約80万円の残金が残ることになっていますので、1月にはその残金を新カテンベ基金へと移行させて、新しい展開をはじめたいと思っています。
引き続き、これまでと同じ、アマニ・ヤ・アフリカで募金を受け付けています。どうかこれからもよろしくお願いします。
早川千晶
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会計報告13
2006年12月12日付け会計報告
●募金合計金額(日本&ケニア合計)4035IRs + 109.20Singapore$+US$759 + 9,415,758円+54,779ksh (=合計およそ960万円)
●12月12日までの支出合計 5,261,722ksh (8,932,924円)
●2006年12月12日現在、日本の口座の残高788,203円 +
ケニアからの繰越金 4035IRs + 109.20Singapore$+27,845ksh
(=合計、現在およそ84万円が残金です。)
(注:「募金合計金額」と「支出合計の日本円金額」との差額と、実際の残金との間に誤差がありますが、これは様々な通貨の為替レートによって生じる誤差です。為替差益が出て残高が増えています。)
******************
●現在の募金状況(2006年12月12日現在)
日本で集まった募金合計 8,552,026円
ケニアで集まった募金合計 4035IRs + 109.20Singapore$+US$759 + 863,732円+54,779ksh
******************
募金状況:期間ごとの内訳
日本での募金
2006年2月20日~2月28日 239,000円
2006年3月1日~3月7日 828,685円
2006年3月8日~3月18日 316,490円
2006年3月19日~3月27日 85,000円
2006年3月28日~4月5日 494,700円
2006年4月6日~4月26日 688,891円
2006年4月27日~5月31日 852,845円
2006年6月1日~6月9日 87,824円
2006年6月10日~6月30日 546,838円
2006年7月1日~7月19日 494,420円
2006年7月20日~9月4日 2,292,275円
2006年9月5日~10月26日 1,473,970円 (日本ツアー2006で集められた分も含む)
2006年10月27日~12月11日 151,088円
ケニア(および日本以外)での募金
2006年2月20日~3月7日 7,000ksh + 30,000円
2006年4月12日 15,000円
2006年4月24日 1,500ksh
2006年4月30日 10,000円
2006年5月20日~25日 US$100 + 6,550ksh + 124,000円
2006年6月27日 10,000ksh
2006年7月 6日 500ksh
2006年8月1日 1,000ksh
2006年8月21日 4035Rs + 22.20Singapore$+US$201+63,146円
(54回ピースボート募金)
2006年8月21日 117,390円
(54回ピースボート・チャリティキーホルダー売り上げ)
2006年8月21日 70,470円
(54回ピースボート・チャリティポストカード売り上げ)
2006年10月20日 143,852円+1796ksh+US$ 300
(日本ツアー2006終了後、基金に振込みができずに現金でケニアに持参した分)
2006年10月26日 5,000ksh (Baba Saidi)
2006年11月 6日 3,000ksh
2006年11月25日 59,063円+US$ 158+450ksh+87Singapore$
(55回ピースボート募金)
2006年11月25日 205,431円
(55回ピースボート・チャリティキーホルダー売り上げ)
2006年11月25日 25,380円
(55回ピースボート・チャリティポストカード売り上げ)
2006年12月9日 17,983ksh (JIWEよりキベラCDMILELE売り上げ10%、9月22日~12月8日まで)
************************
これまでの支出
支出報告13 (2006年10月27日~12月12日)
1)ナイロビ病院への支払い ホステル 14泊分
11月30日宿泊分~12月13日宿泊分まで 42,000ksh
2)ナイロビ病院への支払い ホステル49泊分
12月14日宿泊分~1月31日宿泊分まで 147,000ksh
3) キベラプラザ家賃(11月、12月、1月の3か月分)30,000ksh
4) カテンベ一家の交通費 病院往復 10月29日~12月7日 6,850ksh
5) カテンベ一家のナイロビでの食費 10月29日~12月7日 21,979ksh
6) カテンベ母親の薬代 10月29日~12月7日 4,749ksh
7) カテンベ母親の通院費(診察料) 12月7日 1,500ksh
8) メジラ(妹)の幼稚園学費 11月分 800ksh
9) キベラプラザのセキュリティー代 11,12,1月分 480ksh
10) キベラプラザ電気代 11月 575ksh
11) カテンベの通院費(Dr.Mwongera)11月27日、12月1日 4,500ksh
12) カテンベの血液検査 11月28日 10,740ksh
13)カテンベの血液検査 12月6日 2,860ksh
14) カテンベ一家のナイロビでの食費 12月8日~1月31日 23,100ksh
15) カテンベ母親の通院費(診察料)1月分 1,500ksh
16) カテンベ母親の薬代 1月分 1,000ksh
17) カテンベの薬代 1月分 68,196ksh
18) カテンベの血液検査代 1月分 27,200ksh
19) カテンベの通院費(Dr.Mwongera) 1月分 4,500ksh
------------------------------------------------------------------------------------
合計 399,529ksh
支出報告1 429,493ksh(÷0.60 =715,822円)
支出報告2 79,072ksh(÷0.60=131,787円)
支出報告3 57,423ksh (÷0.58= 99,005円)
支出報告4 43,256ksh (÷0.58= 74,579円)
支出報告5 71,727ksh (÷0.58=123,667円)
支出報告6 108,612ksh(÷0.58=187,262円)
支出報告7 176,193ksh(÷0.58=303,781円)
支出報告8 113,122ksh(÷0.58=195,038円)
支出報告9 162,409ksh(÷0.58=280,016円)
支出報告10 1,707,074ksh (÷0.60=2,845,123円)
支出報告11 1,772,030ksh(÷0.58=3,055,224円)
支出報告12 141,782ksh(÷0.58= 244,452円)
支出報告13 399,529ksh(÷0.59= 677,168円)
支出累計 5,261,722ksh (8,932,924円)
●前回の報告(会計報告12)で報告したように、前回報告時点でケニア側に預かっている現金の残高は以下でした。
4035IRs + 22.20Singapore$+ US$ 1,000+繰越金117,087ksh
●そこに、今回報告分のケニア側での募金金額 289,874円+US$ 158+18,433ksh+87Singapore$を足して、ケニアに預かっている現金は以下になります。
4035IRs + 109.20Singapore$+ US$1,158+289,874円+135,520ksh
●この「ケニア側に預かっている現金」のうち、
US$1,158+289,874円を両替して、ケニアシリング合計135,520kshを足しました。
以上の合計金額は、ケニアシリングで387,374kshになりました。
内訳
US$ 1,158X @69.80 = 80,828ksh (12月9日両替)
JPY 289,874 x @0.59= 171,026ksh (12月9日両替)
ケニアシリング分 135,520ksh
合計 387,374ksh
これに、日本の口座のキャッシュカードでケニアのATMで降ろした40,000kshを足すと、合計427,374ksh になります。
ここから、今回の支出報告12の支払い399,529kshを差し引きすると、27,845ksh となります。
●以上により、会計報告13のあとでケニア側で預かっている現金の残高は、
4035IRs + 109.20Singapore$+繰越金27,845ksh になりました。
これを新カテンベ基金への繰越金として、1月31日時点で実際の経費と精算後、アマニ・ヤ・アフリカのカテンベ基金口座に入金をします。
●2006年12月11日現在、日本の口座に残っている残高788,203円
ケニアからの繰越金 4035IRs + 109.20Singapore$+27,845ksh
となり、この合計が新カテンベ基金へと繰越になります。
●新カテンベ基金では、引き続き、これまでと同じ口座への募金を受け付けています。これからも継続して応援してください。よろしくお願いいたします。
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近況報告2006年12月5日
http://keepmusic.exblog.jp/4009541/
2006-12-09T21:02:38+09:00
2006-12-09T20:55:02+09:00
2006-12-09T20:55:02+09:00
keep_music
経過報告
カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介
基金口座振込み先
UPEPOアフリカの風ネットワーク
ジェニアちゃんとママジェニアが今週の金曜日にルワンダに帰ることになりました。
故郷に帰れるのはもちろんめでたいのですが、私たち一同、かなり複雑な心境です。
なぜならば、帰国後の薬のめどがたっていないせいです。
元NGO職員で今はナイロビで生活しているゆきえさんが、どこかから薬の支援を受けられないか、あちこち調べ上げてくれました。ところが、個人に対する支援をしているNGOはめったになく、しかも、ジェニアやクレアやカテンベのように高額医療が必要な子供に対しての支援をしているところはまったく見つかりません。
ドクタームォンゲラに相談したところ、大変同情してくれて、いくつかのNGOを紹介してくれました。ドクターは、「カテンベたちのストーリーを話したら、きっとわかってもらえるよ。特にカテンベに関しては、ここまで個人個人の心のつながりだけで支えてきたんだ。それを評価してくれてここから先の薬代や学費の支援をしてくれる団体が、きっと見つかるよ。彼らのストーリーを詳しく書いて送ってみなさい」と言ってくれました。だけど現実には、調べれば調べるほどわかってきたのは、大きな組織のNGOであればあるほど、このような個人に対しての支援をしてくれるところはなかなかなく、お話を届かせるのもとても困難だという傾向があることです。小さなNGOだと、資金がないからよけいに難しいです。エイズ患者に支援するところはいろいろあるのですが、腎臓病に関しては、支援をしている団体は見つかりません。
カテンベの場合、月額の薬代は約7万シリング(約12万円)で、毎月しなければならない血液検査と診察料が月額2万シリング(約3万4千円)ほどかかり、彼のような状態の子供を受け入れてくれる寄宿舎や学校も限られており、移植腎臓の拒絶反応を抑えるために免疫抑制剤を大量に飲んでいる彼には村の環境で生活するのも危険があります。また、カテンベの場合は、病気だった期間がかなりの長期だったせいで極度の発育不全なので、腎臓移植をして命の危険はなくなったものの、歩行は相変わらず困難で体力もないため、通常の生活はできません。今私たちは、学校探しや、今後の方針を決めるための会議を村の家族たちともさかんに行っていますが、カテンベを受け入れてもらえる学校を得るというのがこんなに難しかったのだということに愕然としています。状態の良い清潔な寄宿舎で、食事が良く、常駐の看護婦がいて、契約している医者がいて緊急時には助けてくれて、ムウォンゲラ医師にすぐにコンタクトできるナイロビ近辺でなくてはならず、常駐の看護婦がいる学校でさえ、「寄宿舎は病院ではないから、健康に問題がない子供しか受け入れられません。カテンベのような身体状態の子は、難しいです」と言われてしまいました。それでも、「難しいけれど、やってみましょう」と言ってくれた学校がありました。そこは私立の学校で、少人数制だからなんとかカテンベのケアもできるだろう、と言ってくれたのですが、それでも、とにかくトライしてみてダメそうであればあきらめてもらうしかないと言われました。そして、そうやって受け入れてくれるような学校は、費用もとても高いです。
ジェニアちゃんとママは、今後の薬代について途方に暮れており、退院時に渡された薬もあと数日で底をつくという状況です。「神様はいる。神様が何とかしてくださるはずだ」とママは言い続けていますが、カテンベは、「確かに神様はいるけど、薬に関してはお金で買わないといけないからなぁ。」とため息をついていました。
ジェニアやクレアの場合は、ナイロビに運ばれてきたときには瀕死の重体でしたが、カテンベのように長期間わずらっていたわけではなく、3~4年の間に急激に悪化していった病気なので、ジェニアの移植後の状態はカテンベよりもずっと良く、歩行や生活なども一見普通の人とほとんど変わりはありません。カテンベの場合は一見して普通の状態でないとわかるほど歩行困難で体が不自由なので、見学に行った学校ではカテンベを一目見ただけで「これでは無理なのではないの?」と言われてしまいました。
ジェニアの場合は、村に帰っても、薬さえあれば何とか普通の子供たちのように暮らしていくことができるでしょう。ドクターに、「薬を買えなかったら、どうなるの?」と聞いたところ、「4ヵ月後にはまた確実に腎不全に陥るでしょう」と言われました。それを聞いて私は真っ青になりました。お母さんが腎臓をくれたから、痩せ細って目もうつろだったジェニアは、とてもイキイキとピカピカと元気になることができました。その大切な腎臓が、4ヶ月で死んでしまうなんて。
ゆきえさんが必死であちこち探してくれたけど、虐殺遺児を支援している団体でも高額医療には一切支援をしてくれず、あと数日しか時間がないのにほぼお手上げの状態です。
毎日夕方ごろにはカテンベと匡哉の部屋にジェニアやママやクレアなど全員が集まり、みんなで映画を見ます。みんな、楽しい映画が大好きなのですが、ちょっとでも暴力シーンがあるような映画では、そんなシーンにママやクレアが異常反応するんだと匡哉が言っていました。例えば、ジャッキー・チェンの映画とか、その程度でも、ちょっと殴ったり乱闘になったりするようなシーンがあると、ママやクレアは震えて、泣き始めます。
昨日は、私がこの前ドゥバイで買ってきた「ホタルの墓」の英語版をみんなで見ました。戦時中に飢えで死んでしまう兄妹の物語を描いた宮崎アニメです。
お兄ちゃんが妹のために畑でイモを盗んでいるところを見つかり、殴られるシーンや、空襲のシーンなどでクレアとママジェニアは震える声を上げてつっぷして泣きました。
泣いて泣いて、最後まで泣き続けて、最後の、妹が死んで野原で焼くシーンではもう画面を見ることはできず、神様、神様と言い続けて顔を隠していました。
アニメでまさかこれほどのショックを受けるとは思ってもいなかったので、私も愕然としました。ルワンダの虐殺を目の前で経験した、そして家族が次々と殺されていった恐怖と悲しみは、長い時間がたっても、そして今の毎日が平和であっても、決して癒えることがないのでしょう。
これまでカテンベ救済基金の窓口をしてくださっている仙台のNPOアマニ・ヤ・アフリカの石原さん親子に、今後どうしていったらいいかということを相談しました。手術を実現することができ、カテンベが命を取りとめることができた、これが第一幕として、これからは、新しい命を得たカテンベがしっかりと生きていくことができるように、そして、将来自立していくことができるように、そして、こうして多くの人々に支えられて取りとめた新しい命を何らかの形で社会に還元していくことができる存在に成長するために、これから長い第二幕がはじまるので、引き続き、カテンベ基金を続けていきましょう、と言っていただきました。
カテンベが、そんな自覚を持ってこれからの人生を生きていくように、私たちもそばで彼の成長を見守り、助け、語り続けていきたいと思います。そして、彼が生きている一瞬一瞬に、彼は周りの人間に様々な形で影響を与え、伝えていくメッセージがあると信じます。
どうか皆さん、心からのお願いです。カテンベの人生を応援してください。
アマニ・ヤ・アフリカを窓口として、カテンベ基金は継続していくこととなりました。今後の彼の医療費、そして教育にかかる費用を、支えていきたいと願っています。
どうかよろしくお願いいたします。
そして、上記のジェニアちゃんについて、何か有効な情報をお持ちの方、個人的にでもジェニアちゃんの薬代を支援したいという方がいらっしゃったら、どうか私にメールでお知らせいただけますと幸いです。今日は、ジェニアちゃんのために他にもっと安い薬の組み合わせがないかどうかを調べてきます。
世界中の子供たちが平和に幸せに笑顔でいられますように。
早川のメールアドレス ecotour@gol.com
手術当日、最後の透析を受けるジェニアちゃんとママ
ジェニアちゃん、今年の9月13日。
ルワンダからやってきて2ヶ月、透析を受け続けてだいぶ元気になってきた。
腎臓移植手術後2ヶ月たったジェニアちゃん。
(今年の11月29日撮影)
カテンベの手術前日に、カテンベとジェニア
(ジェニアは手術後1ヶ月の写真)]]>
クレアのバースディ
http://keepmusic.exblog.jp/3966323/
2006-12-04T09:18:00+09:00
2006-12-04T09:21:11+09:00
2006-12-04T09:18:46+09:00
keep_music
経過報告
カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介
基金口座振込み先
UPEPOアフリカの風ネットワーク
3日前にナイロビに帰ってきました。
2週間の留守中にカテンベがとてもしっかりした足取りになっていて、びっくりしました。目を疑うほどです。体重も順調に増えていて、どんどん元気になっていっていることを自分でも実感できることがとても嬉しいようです。動きたくてたまらないけれど、疲れたら休むということを自分で気をつけています。
手術後1ヶ月がたちましたが、まだまだ安心はできないものの、そろそろ次の目標を・・・ということで、今日はカテンベと一緒に候補の学校のひとつを見学してきました。カテンベは大喜びのおおはしゃぎ。車の中でもずっと鼻歌を歌い続け、弾丸毒舌トークが止まりません。
学校内を見て回るときも、興味深そうにあっちキョロキョロ、こっちキョロキョロ。何度も「疲れた?大丈夫?」と聞いたけれど、そのたびに、「大丈夫!」と言い、もっと見たそうにしていました。ところが、しばらくの間とても元気に(ゆっくりとだけどしっかりした足取りで)歩いていたのだけれど、ふっと突然、ぐったりとした様子になり、すぐに足に力が入らないようになっていることに気付きました。本当に突然の変わりようで、私も慌てました。すぐに車に戻り、横にして休ませ、水を飲ませて一息ついたら、またかわいい毒舌トークがはじまったのでほっと胸をなでおろしました。
それにしても、突然様子が変化したことに、私は冷や汗が出るほど焦りました。元気なように見えても、まだまだなんだということを思い知らされました。長年病気に蝕まれた体なのだから、簡単ではないのは当たり前なのだけど、イキイキと輝く表情を見ていると、「もうすぐすべて普通の子供たちのようにできるようになるんだ!」と錯覚してしまいそうになります。急にぐったりとしたとき、さっきまで何ということもなかった小さな段差でさえ、やっと越える、というかんじになり、足が一歩一歩どんどん重くなって、体の向きを変えるのも思うように体が動かない、鉛のように重くて硬い体になってしまいました。すぐそこに止まっている車までの距離が、ものすごく遠くに感じました。私の体まで急に重たくなってしまったように感じました。足におもりがついているようでした。
体が自由に動かない、ということが、どれほどつらいことか、思い知りました。カテンベの様子が急に変わった瞬間に、周囲の景色も急に違って見えました。さっきまで「広々として気持ちのいい庭」に見えていた景色だったのに、急に、遠さが苦痛になりました。ふだん何気なく踏み越えている段差も、急に、大きな障害物に見えます。
学校に復帰するということも、普通の生活をはじめるということも、カテンベにとっては簡単ではなく、ひとつひとつが大きなチャレンジになるのだということをひしひしと実感しました。今後の学校選びや生活の場の設定は簡単ではなさそうです。
それでも今は、楽しい今の時間をゆっくりと大切にしていっぱい笑っていてもらいたいなと思いました。
車に戻ってしばらくして、また元気にしゃべりはじめたカテンベが、「あの先生が僕を見て、かわいそうな子だと言ったんだ」と言いました。
「僕は何も言わなかったけどね。かわいそうな子じゃないんだけどな。まぁでも言ってもしょうがないから、黙ってたんだ」
と言って、カテンベは笑いました。
現在カテンベと、カテンベの腎臓仲間?のジェニア親子、クレアちゃんが暮らすナイロビ病院のホステルは、ある意味、一般の世間からは隔絶されたような空間だけれども、ここにいれば安心で、ゆったりした暖かい空気に包まれているようなところです。いずれはここから離れて生きていかねばならず、手術を終えたジェニアちゃんやカテンベには、そのときは目前にあります。もうすぐルワンダに帰るジェニアちゃんにも、より良い状況がありますようにと祈らずにはいられません。
今日はクレアの誕生日でした。夕方にみんなで集まり、ささやかながらクレアの21歳のバースディを祝いました。ケーキと、少しのお菓子と、小さなプレゼントと、みんなで書いたメッセージを前にして、みんなで歌って、手を叩いて、笑って、とても楽しいひとときでした。ひとつひとつに目を輝かせるクレアと、みんなの笑い声に、幸せってこんな時間の中にあるんだなぁと思いました。
クレアは腎臓提供者である妹の到着を待っているところです。どうかクレアの手術もうまくいきますように。
雨のナイロビより。早川千晶
21歳になったクレアちゃん
ケーキのろうそくを吹き消すクレア
ケーキにおおはしゃぎのカテンベ
カテンベとクレア
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経過報告2006年11月19日
http://keepmusic.exblog.jp/3857749/
2006-11-21T21:35:51+09:00
2006-11-21T21:35:51+09:00
2006-11-21T21:35:51+09:00
keep_music
経過報告
カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介
基金口座振込み先
UPEPOアフリカの風ネットワーク
ナイロビ病院を退院して10日経ちました。
カテンベはその後も順調です。
食欲があるので、毎日しっかり食べています。
手術前よりもご飯がおいしく食べれるようです。
体重は3キロ増えて26.5キロになっていました。
毎日少しずつ散歩していますが、歩き方もだいぶしっかりしてきています。
おとといは以前入院していた病院のST.MERYS病棟まで自分の足で歩いて行って帰ってきました。
玄関の前の段差を壁につかまらずに脚力だけで上れるようになったので、カテンベ本人もびっくりしています。
カテンベの体が確実に回復していっているのがわかります。
カテンベの隣のベットだったジェニアが心臓の手術を受けました。
手術直後はかなりしんどそうで寝返りうつのもやっとでしたが、2日後には自分で歩いてトイレにいくようになり、食欲も出てきて経過は良好です。
昨日はキベラプラザからママカテンベやメジラたちが遊びに来ました。
みんなカテンベの回復振りに大喜び。
カテンベも久しぶりの母親の手料理を喜んで食べていました。
ママカテンベもまだまだむりは出来ませんが、特に問題も無く順調です。
本人もしっかり回復するまで時間をかけてゆっくりするつもりでいます。
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会計報告 2006年11月9日
http://keepmusic.exblog.jp/3777918/
2006-11-13T15:26:00+09:00
2006-11-13T15:33:19+09:00
2006-11-13T15:26:51+09:00
keep_music
会計報告
カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介
基金口座振込み先
UPEPOアフリカの風ネットワーク
カテンベが11月9日に退院し、ナイロビ病院内のゲストハウスに移動しましたので、手術費用として払い込んでいたデポジットから実際にかかった金額での精算がされました。この時点での会計報告をいたします。
*日本側(アマニヤアフリカの口座)に10月27日~11月9日までに振り込まれた金額の確認が間に合いませんでしたので、日本側の募金金額は10月26日現在となっています。
退院時に、2か月分の薬を購入しました。(1月8日分まで。)
それにより、現在、カテンベ基金に残っているお金は、約95万円になりました。
ゲストハウスの滞在費は、11月30日分まで支払ってあります。
現在のところ、薬代は1ヶ月で65,368シリング(約11万3千円)かかっています。これが3ヵ月後に、どのくらい減らすことができるかによって、今後カテンベが生きていくために必要なお金が年間いくらくらいかがわかってきます。
(薬は一生飲み続けなければなりませんが、状態が安定したら量を減らすことが可能だそうです。)
手術が成功して新しい命を得たカテンベですが、薬を飲み続けなければ生命を維持することができないので、この「カテンベ救済基金」は継続していきたいと願っています。危険期間の3ヶ月間を過ぎてからあとで、その後の年間目標を立てられると思います。この情報はもう少々お待ちください。
今はとにかく、カテンベの母親の体力回復と、カテンベ自身が危険期間を乗り切って安定することができるよう、清潔な生活環境と良い食事、心と体をゆっくり休めることができる状況を確保することに努めます。
これからもどうかよろしくお願いいたします。
*************************************
会計報告12
2006年11月9日付け会計報告
●募金合計金額(日本&ケニア合計)
4035IRs + 22.20Singapore$+US$601
+ 8,974,796円+36,346ksh
(=合計およそ911万円)
●11月9日までの支出合計
4,862,193ksh (約8,255,756円)
●現在の残金(ケニアと日本で)
4035IRs + 22.20Singapore$+ US$ 1,000
+日本の口座の残高 637,115円(10月26日時点)
+繰越金117,087ksh(11月9日時点)
(=合計、現在およそ95万円が残金です。)
(注:「募金合計金額」と「支出合計の日本円金額」との差額と、実際の残金との間に誤差がありますが、これは様々な通貨の為替レートによって生じる誤差です。現在、その誤差は+10万円です。実際の残金が10万円増えています。)
******************
●現在の募金状況(日本側は2006年10月26日現在、ケニア側は11月9日現在)
日本で集まった募金合計
8,400,938円
ケニアで集まった募金合計
4035IRs + 22.20Singapore$+US$601 + 573,858円+36,346ksh
******************
募金状況:期間ごとの内訳
日本での募金
2006年2月20日~2月28日 239,000円
2006年3月1日~3月7日 828,685円
2006年3月8日~3月18日 316,490円
2006年3月19日~3月27日 85,000円
2006年3月28日~4月5日 494,700円
2006年4月6日~4月26日 688,891円
2006年4月27日~5月31日 852,845円
2006年6月1日~6月9日 87,824円
2006年6月10日~6月30日 546,838円
2006年7月1日~7月19日 494,420円
2006年7月20日~9月4日 2,292,275円
2006年9月5日~10月26日 1,473,970円 (日本ツアー2006で集められた分も含む)
ケニア(および日本以外)での募金
2006年2月20日~3月7日 7,000ksh + 30,000円
2006年4月12日 15,000円
2006年4月24日 1,500ksh
2006年4月30日 10,000円
2006年5月20日~25日 US$100 + 6,550ksh + 124,000円
2006年6月27日 10,000ksh
2006年7月 6日 500ksh
2006年8月1日 1,000ksh
2006年8月21日 4035Rs + 22.20Singapore$+US$201+63,146円
(54回ピースボート募金)
2006年8月21日 117,390円
(54回ピースボート・チャリティキーホルダー売り上げ)
2006年8月21日 70,470円
(54回ピースボート・チャリティポストカード売り上げ)
2006年10月20日 143,852円+1796ksh+US$ 300
(日本ツアー2006終了後、基金に振込みができずに現金でケニアに持参した分)
2006年10月26日 5,000ksh (Baba Saidi)
2006年11月 6日 3,000ksh
************************
これまでの支出
支出報告12 (10月27日~11月9日)
1)ナイロビ病院への支払い 退院時の精算 80,851ksh
2)ナイロビ病院への支払い ゲストハウス21泊分 63,000ksh
=======================================
支出合計 143,851ksh
入金 △ 2,069ksh (日本ツアーで留守中にカテンベ母に渡してあった緊急用のお金から、使用金額精算後の返金分。9月14日付け会計報告を参照のこと)
=======================================
合計 141,782ksh
支出報告1 429,493ksh(÷0.60 =715,822円)
支出報告2 79,072ksh(÷0.60=131,787円)
支出報告3 57,423ksh (÷0.58= 99,005円)
支出報告4 43,256ksh (÷0.58= 74,579円)
支出報告5 71,727ksh (÷0.58=123,667円)
支出報告6 108,612ksh(÷0.58=187,262円)
支出報告7 176,193ksh(÷0.58=303,781円)
支出報告8 113,122ksh(÷0.58=195,038円)
支出報告9 162,409ksh(÷0.58=280,016円)
支出報告10 1,707,074ksh (÷0.60=2,845,123円)
支出報告11 1,772,030ksh(÷0.58=3,055,224円)
支出報告12 141,782ksh(÷0.58= 244,452円)
支出累計 4,862,193ksh (8,255,756円)
●前回の報告(会計報告11)で報告したように、前回報告時点でケニア側に預かっている現金の残高は以下でした。
4035IRs + 22.20Singapore$+ US$ 4,457+3,852円+7,796ksh
●そこに、今回報告分の募金金額 3,000ksh を足して、以下になります。
4035IRs + 22.20Singapore$+ US$ 4,457+3,852円+10,796ksh
●この「ケニア側に預かっている現金」のうち、
US$ 3,457+3,852円を両替して、ケニアシリング募金分10,796kshを足しました。
以上の合計金額は、ケニアシリングで258,869kshになりました。
内訳
US$ 3,457x @71.10 = 245,793ksh (11月9日両替)
JPY 3,852 x @59.20= 2,280ksh (11月9日両替)
ケニアシリング募金分10,796ksh
合計 258,869ksh
ここから、支出報告12の支払いを行い、117,087ksh が残りました。
この残金は、大西匡哉が預かり、カテンベ母が療養中のナイロビでの生活費、および、今後の薬代や通院費などの支払いに使用します。(会計報告13へ繰越します。)
●以上により、ケニア側で預かっている現金の残高は、
4035IRs + 22.20Singapore$+ US$ 1,000+繰越金117,087ksh
になりました。
●11月9日にカテンベの退院時に、ナイロビ病院に対して払い込んでいたデポジットを、実際にかかった金額と精算をして、不足分の支払いをしました。
ナイロビ病院に7月25日に入院、11月9日に退院するまでの全費用は、2,652,880ksh (約460万円)となりました。
これは、手術にかかった費用と、退院後2か月分の薬代(1月8日まで)を含みます。
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2006年11月9日 手術後15日目
http://keepmusic.exblog.jp/3777790/
2006-11-13T15:09:14+09:00
2006-11-13T15:09:14+09:00
2006-11-13T15:09:14+09:00
keep_music
経過報告
カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介
基金口座振込み先
UPEPOアフリカの風ネットワーク
カテンベが退院しました!
前日からカテンベはおおはしゃぎ。なんといっても、4ヶ月ぶりの退院です。
今後まだまだ注意が必要ですが、病院を出て自宅療養でOKということになりました。
しかし、ナイロビでのカテンベ一家の自宅はキベラスラム内にあり、衛生面に問題があるため、免疫抑制剤を大量に飲んでいるカテンベには感染の危険があります。
今、感染症にかかると命取りなので、しばらくは、ナイロビ病院内のゲストハウスに滞在することになりました。
お母さんはまだ安静が必要なことと、3歳のメジラちゃんがいるため、匡哉がカテンベと一緒にゲストハウスに住み込んでくれることになりました。
退院したとはいえ、これからも毎日、尿と摂取する水分の量を測り、記録していかねばなりません。
だけどとにかく病院を出ることができて、カテンベは大喜びで思い切りくつろいでいます。
病室を出て行くとき、カテンベはとても誇らしげでした。看護婦さんや警備員さん、入院仲間やその家族など、たくさんの人々に誇らしげに挨拶をして、車椅子で堂々と病室を出発したのでした。
ナイロビ病院のゲストハウスに引っ越してくつろぐカテンベとお母さん。
カテンベは歩いてはいますが、まだ足がしっかりしていなくて、長い距離を歩くことができません。ゆっくりゆっくりと、ひょこっ、ひょこっ、というかんじにしか歩けません。
カテンベは、「早く走り回れるようになりたいなぁ!」と言っているのだけれど、ムウォンゲラ先生に、あせりは禁物だよ、と言われました。
カテンベは長年の腎不全で、骨もボロボロになり、筋肉もまったくないような状態になってしまっています。今、新しい腎臓は本当にすばらしく機能をしており、血液検査の結果はほぼ正常に近いところまでいっています。だけどまだヘモグロビンの数値が低く、貧血です。先生によると、これから1~2ヶ月のうちにまずはこの貧血状態が改善され、ヘモグロビンの数値が正常になり、そのあと、6~7ヶ月間かけて体が準備をはじめて、それでやっと、7ヵ月後くらいから体が育ち始めることができるのだそうです。
なので、これからまだ半年くらいたたなければ、骨や筋肉は育ってくれないのだそうです。だけど確実に育つよ!だからあせらなくていいよ!と先生が励ましてくれました。
そうなると、急に男の子っぽくなってくるよ、と言いました。なぜなら、ホルモンも正常になっていくからだそうです。
本当にいままでカテンベの成長は停止状態だったのですね。
腎臓ひとつで、これはほんとにすごい変化です。
体って、たくさんたくさんのお仕事をするいろいろな部分がぜんぶみんなひとつで調和してこそ、私たちはこうして生きていられるんだなぁ・・・と、あらためて体のすごさを感じました。
命が働いている(生きている)っていうことじたいが、奇跡的なことなんですね。ほんとに。ということは、あなたも、私も、動物も、植物も、誰もかれもがすべて、奇跡の存在なんですね。
ムウォンゲラ先生によると、これから危険期間は90日間。この90日間はとにかく、人ごみを避け、体を疲れさせないよう、風邪を引かないよう、疲れたらすぐに休んで、いつも清潔にして、良い食べ物を食べ、規則的な生活をして、厳重注意しなくてはなりません。ということです。
この危険期間を通り過ぎたら、腎臓はだいぶ安定していき、薬の量も安定していくということです。
カテンベの場合は、今のところ拒絶反応もなく、とても安定しているので、思ったよりも薬の量は少なくてすみそうかもしれない、と言ってもらいました。(しかし、今はまだ油断できないそうです。)
現在の時点で、薬代は一ヶ月で65368シリング(約11万3千円)となりました。
昨日の退院の時点で、2か月分の薬を購入しました。
これからどのくらいこの薬を減らしていくことができるか、どのくらいのところで安定するかというのが、今後かかってくる費用の鍵になっています。
ジェニアちゃんとカテンベ。カテンベは2号室でジェニアちゃんは3号室。
このゲストハウスでは、病院と同じように、すべての食事の管理をしてくれているのでとても安心です。ずっと付き添い生活をする匡哉はとっても大変だと思いますが、カテンベは「匡哉と2人暮らし!」というのが最もワクワクする内容だったようです。
部屋にはギターもあり、匡哉がパソコンも持ってきたのでインターネットも見れて、CDも聞けて、カテンベは超ごきげんであります。自分のブログも、はじめて見ることができますね!
では、私は明日より、55回ピースボートに出発いたします。
ピースボートの皆さんも、カテンベの命を支えてくれた仲間たち、カテンベ応援団の一員です。船の中でたくさんの心とつながることができますように!とても楽しみです。
シンガポールからモンバサまで、船内で講座をやりながら航海して、11月25日に帰ってきます。がんばりたいと思います。
しばらくご無沙汰してしまいますが、皆さんもお元気でお過ごしください。カテンベは頼もしく、「いってらっしゃ~い!ピースボートの皆さんによろしくねぇ~!」と言ってました。
こうしてすべてが順調なこと、ほんとにほんとに、みんなほんとにありがとう。
早川千晶
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経過報告 2006/11/10
http://keepmusic.exblog.jp/3777691/
2006-11-13T14:53:47+09:00
2006-11-13T14:53:46+09:00
2006-11-13T14:53:46+09:00
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経過報告
カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介
基金口座振込み先
UPEPOアフリカの風ネットワーク
昨日11月9日の昼過ぎにカテンベがナイロビホスピタルを退院しました。
とはいえ、まだまだ拒絶反応と感染症などの危険があり、衛生上の問題も考慮して、しばらく病院のそばのユースホステルに滞在します。
ママカテンベがまだあまり動けないので、自分が一緒に泊り込むことになりました。
移植後の経過はとてもよく、尿もよく出ており、とても順調です。
昨日はママカテンベも診察を受けましたが、経過は順調とのこと。
ただ傷が深いせいか、カテンベよりもしんどそうです。
医者も当分ゆっくりして、あまり働かないようにといっていました。
ユースホステルにはジェニアとママジェニアも滞在しているのでカテンベはとてもくつろいで楽しんでます。]]>
会計報告2006年11月3日
http://keepmusic.exblog.jp/3698453/
2006-11-04T02:18:32+09:00
2006-11-04T02:18:32+09:00
2006-11-04T02:18:32+09:00
keep_music
会計報告
カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介
基金口座振込み先
UPEPOアフリカの風ネットワーク
10月26日付けの会計報告をまとめました。
これにより、10月26日現在での募金残高は、約110万円となりました。
これは、腎臓移植手術にかかる費用(デポジット)をナイロビ病院に支払ったあとでの残高です。 実際にいくらかかったかは、カテンベの退院時点でわかります。退院時には、これまで病院に納めているお金から、実際にかかった費用の総合計が引かれ、残金がある場合は現金で返金されます。もしも足りなかった場合は、足りない分を支払ってからでないと退院ができません。
10月23日(手術直前)時点で、ナイロビ病院のカテンベのアカウントをチェックしたところ、それまでの入院でかかっていた費用の合計が、それまでに納めていたデポジットよりも30万シリング超えていました。ようするに、手術直前時点では、病院に対しての未納分(ツケ)が30万シリング(約50万円)あった、ということになります。
その後、病院が求める手術費用デポジットをその同じアカウントに入金しました。
そのため、おそらく、退院時の収支としては、赤字になっているだろうと思われます。現時点での基金の残高が、約110万円ありますので、これがあれば退院時の赤字の支払いはまかなえるであろうと思っています。
しかし退院以降の医療費、薬代を、これから何とかせねばなりません。
現在の残高、約110万円から退院時の支払いをしたあとは、おそらく、数ヶ月の医療費、薬代、母親を含む家族が村に帰るまでの生活費は何とかなるかと思いますが、おそらくこの「数ヶ月」というのは持って4ヶ月くらいではないかと予想します。今から4ヶ月間というと、2月頃です。
腎臓移植手術のあとは、退院してもしばらくは頻繁な通院が必要なことと、免疫抑制剤も大量に取らなければなりません。拒絶反応の波がやってくるのが手術後に何度か展開があるそうですが、特に注意しなければならないのは、手術後1~2週間、3~8週間、3ヶ月、と、安定しているように見えても状態が急変する転換期のようなものが何度もやってくるそうです。その後、状態が安定してくるにつれ、免疫抑制剤の量を減らしたり、普通の生活に安定していくことができるそうですが、それはすぐのことではなさそうです。
今後、カテンベが生きていくために一生かかってくる薬代と医療費の概算については、状態が安定しなければ現時点では何とも言えませんが、ムウォンゲラ医師から説明されていることとしては、免疫抑制剤の薬代は一ヶ月で10万円から15万円くらいかかる覚悟でいたほうがいい、ということです。これは、状態によって量が変化するそうですので、最高量としてこの金額、うまくいけばこれよりもだんだんと安くなるということだそうです。通院には、1回につき約3500円の診察料がかかります。これを最初は週3回だそうです。これも状態に応じて、だんだんと回数を減らしていくことができるそうです。
以上のような事情ですので、今後のことをどうしていくか、早急に考えて体制を整えていかねばなりません。今はひとまず、手術が無事終わり、経過もよく、第一段階をクリアできたということだと思います。今日は手術後9日目です。ほっとしたのもつかの間、というかんじですが、これからのこと、どうかまた相談に乗ってください。よろしくお願いいたします。
毎日めきめきと元気になっているカテンベの姿を見ていると、2月から今までのことが本当に奇跡のようであったと痛感しています。2月に失われていただろう命でした。2月からこのかた、皆さんに支えていただいたからこそ、生きながらえることができたのです。
10月26日に新しい命をいただいたカテンベが、これから、より良い人生を生きていくことができるよう、どうかこれからも見守っていてください。皆様からのご意見をいただけますと幸いに思います。どうかよろしくお願いいたします。
心からの感謝をこめて
早川千晶
*************************************
会計報告11
2006年10月26日付け会計報告
●募金合計金額(日本&ケニア合計)4035IRs + 22.20Singapore$+US$601 + 8,974,796円+33,346ksh (=合計およそ911万円)
●9月14日までの支出合計 4,720,4111ksh (8,011,304円)
●現在の残金(ケニアと日本で) 4035IRs + 22.20Singapore$+ US$ 4,457+3,852円+7,796ksh +日本の口座の残高
(=合計、現在およそ110万円が残金です。)
******************
●現在の募金状況(2006年10月26日現在)
日本で集まった募金合計 8,400,938円
ケニアで集まった募金合計 4035IRs + 22.20Singapore$+US$601 + 573,858円+33,346ksh
******************
募金状況:期間ごとの内訳
日本での募金
2006年2月20日~2月28日 239,000円
2006年3月1日~3月7日 828,685円
2006年3月8日~3月18日 316,490円
2006年3月19日~3月27日 85,000円
2006年3月28日~4月5日 494,700円
2006年4月6日~4月26日 688,891円
2006年4月27日~5月31日 852,845円
2006年6月1日~6月9日 87,824円
2006年6月10日~6月30日 546,838円
2006年7月1日~7月19日 494,420円
2006年7月20日~9月4日 2,292,275円
2006年9月5日~10月26日 1,473,970円 (日本ツアー2006で集められた分も含む)
ケニア(および日本以外)での募金
2006年2月20日~3月7日 7,000ksh + 30,000円
2006年4月12日 15,000円
2006年4月24日 1,500ksh
2006年4月30日 10,000円
2006年5月20日~25日 US$100 + 6,550ksh + 124,000円
2006年6月27日 10,000ksh
2006年7月 6日 500ksh
2006年8月1日 1,000ksh
2006年8月21日 4035Rs + 22.20Singapore$+US$201+63,146円
(54回ピースボート募金)
2006年8月21日 117,390円
(54回ピースボート・チャリティキーホルダー売り上げ)
2006年8月21日 70,470円
(54回ピースボート・チャリティポストカード売り上げ)
2006年10月20日 143,852円+1796ksh+US$ 300
(日本ツアー2006終了後、基金に振込みができずに現金でケニアに持参した分)
2006年10月26日 5,000ksh (Baba Saidi)
************************
これまでの支出
支出報告10 (9月15日~10月26日)
1)ナイロビ病院へ入金 手術費用デポジット 1,522,030ksh
2)ムウォンゲラ医師への手術費用支払い 250,000ksh
合計 1,772,030ksh
支出報告1 429,493ksh(÷0.60 =715,822円)
支出報告2 79,072ksh(÷0.60=131,787円)
支出報告3 57,423ksh (÷0.58= 99,005円)
支出報告4 43,256ksh (÷0.58= 74,579円)
支出報告5 71,727ksh (÷0.58=123,667円)
支出報告6 108,612ksh(÷0.58=187,262円)
支出報告7 176,193ksh(÷0.58=303,781円)
支出報告8 113,122ksh(÷0.58=195,038円)
支出報告9 162,409ksh(÷0.58=280,016円)
支出報告10 1,707,074ksh (÷0.60=2,845,123円)
支出報告11 1,772,030ksh(÷0.58=3,055,224円
支出累計 4,720,411ksh (8,011,304円)
●前回の報告(会計報告10)で報告したように、前回報告時点でケニア側に預かっている現金の残高は以下でした。
US$13,200 + 1,000ksh
●10月20日に「日本側で集まった募金」から1,742,000円をドルに両替してケニアに持参しました。
1,742,000円÷@121,72円=US$14,311
これに、上記の、ケニア側に預かっていたドルの残金US$ 13,200と、10月に日本からケニアに持って帰ったドル募金US$300を足しました。
US$14,311 + US$13,200+US$300 = US$27,811
このうち、US$ 23,354をケニアシリングに両替しました。
US$ 23,354 X @72.40 = 1,690,830ksh (10月23日両替)
これによって、ケニア側で預かっているドルの残金は、US$ 4,457になりました。
●「ケニアで集まった募金」573,858円のうち、会計報告10で報告したように、7月と8月に430,006円をケニアシリングに両替し、病院代のデポジットとして支払いしました。そのあとの残金より、10月23日に14万円をケニアシリングに両替しました。
140,000円X@0.58=81,200ksh
これによって、ケニア側で預かっている日本円の残金は、3,852円となりました。
●会計報告10で報告したように、前回報告時点でケニア側で預かっているケニアシリングの残金は1000ksh でした。そこに今回入金のあった6,796kshを足しました。現在のケニアシリング残高は、7,796ksh です。
●以上により、10月26日現在、ケニア側で預かっている現金の残高は以下の通りです。
US$ 4,457+3,852円+7,796ksh +4035IRs + 22.20Singapore$
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2006 年11月2日 手術後8日目
http://keepmusic.exblog.jp/3698386/
2006-11-04T01:57:00+09:00
2006-11-04T01:57:54+09:00
2006-11-04T01:57:19+09:00
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経過報告
カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介
基金口座振込み先
UPEPOアフリカの風ネットワーク
手術後8日目のカテンベ。チャイを飲んでいるところ。
昨日(11月1日)、カテンベのお母さんが退院しました。順調に回復しています。 昨夜はカテンベひとりの病室になり寂しく思ったのか、カテンベは匡哉に、「泊まっていきなよ~」としきりに言っていました。
カテンベはもりもり元気を増しています。水分は1日3リットルくらい取っています。「どんどん飲まなきゃ!」と張り切って飲んでいます。
パワー全開でのおしゃべりが止まりません。カテンベはとても利発で気が強く、ユーモアと毒舌がすばらしいのです。私たちはいつもカテンベの「へらず口」に笑いころげています。
元気があふれて、目をくりくりさせたいたずら小僧ぶりを発揮しています。
それでも歩く足取りはまだおぼつかないので、「歩くとまだ足元がフラフラするんだよなぁ。早くライオンのように走り回りたいのに!」と言っていました。
だけど、たくさん飲んでたくさんおしっこしているので、「おしっこの勢いは、まるで象のようだね」と言ったら、大うけしていました。どんどん飲んで、どんどんおしっこして、どんどん体の中がきれいになる!と、まさに、目の前でめきめきと音を立てて活性化しているのがわかります。
カテンベ、村の家族と電話で話をしているところ。とっても嬉しそう。
今日は、透析仲間のおじさんが腎臓移植手術を受けました。成功したらしい!とカテンベは喜んでいました。みんな元気になってほしいです。
カテンベの病室は4階、ルワンダ人のクレア(21歳)の病室は1階です。2人はまだ会ったことがないけれども、私がデジカメでカテンベの写真を撮ってクレアに見せ、クレアも写真に撮ってカテンベに見せて、お互いの近況を報告しています。2人は会ったことはなくても、すでに友達です。私たちは毎日、4階と1階を行ったりきたりしています。
これから腎臓移植手術を受けるクレアは、カテンベがどんどん元気になっている様子にとても励まされているようです。
ここ数日、クレアからいろいろな話を聞きました。ルワンダからやってきた当日はかなり衰弱しきった様子だったクレアも、何度かの透析を経て、少しづつですが元気が出てきました。毎日会いに行っているうちに、クレアはいろんなことを話してくれています。
彼女は両親とも死んでしまっていないという。3つ上のお姉さん、1つ下の妹と3人姉妹だそうです。20歳の妹がドナーになって腎臓移植手術を受けることになっているけれど、妹はまだナイロビに到着していません。
誰が手術費用や渡航費を助けてくれているの?と聞いたところ、クレアは自分の身の上について話してくれました。
彼女の両親は虐殺されました。クレアが7歳、姉が10歳のときです。先に父親が、そしてその5日後に母親が殺されたそうです。姉はその虐殺のもようをはっきりと記憶しているのだそうです。クレアはまだ小さかったけど、母親の顔や姿を覚えていると言っていました。両親とも殺されてからあと、子供3人で隠れていたところ、助け出してくれる人がいて、イタリア人が運営しているカトリックの孤児院に連れていかれました。その孤児院には、4000人もの虐殺孤児がいました。クレアたちはそこで生活しながら学校に通いました。姉が結婚して、姉妹3人で孤児院を出ましたが、学費の支援は継続されたそうです。高校生になってからクレアが発病。高校の最終学年でついに学校を続けることができなくなりました。ルワンダの病院では、最初、腎臓病だとわからず、どんどん具合が悪くなっていきました。腎臓病だということがわかり、腹膜透析をはじめますが、感染症にかかり、状態が非常に悪くなりました。
ルワンダ政府は、虐殺の被害にあった子供たち(虐殺の年と、それよりも以前に生まれた子供たち)に対して、医療費のサポートを行うシステムがあるのだそうで、外国までの渡航費を自分で捻出した人には、外国での医療費を負担してくれるのだということです。それで、カテンベより先に手術を受けたジェニアちゃんの場合も、飛行機代だけ自分たちで捻出し、ケニアでの医療費はすべてルワンダ政府に負担してもらっているそうです。
クレアの場合は、姉夫婦もとても貧しく、飛行機代はとても捻出できないと思っていたところ、ファージという団体の支援を受けることができ、飛行機代を出してもらうことができたとのこと。
クレアは、高校を終えることができなかったことがとても残念で、早く元気になって学校に戻り、大学に進学して、医者になりたい、と言っています。「病気に苦しむ人々を助けたいの」と。
クレアはたどたどしいけれどスワヒリ語を話すので、どこで勉強したの?と聞いたところ、習ったことはなく、学校にタンザニアから来た子供たちがいて、その子たちが話すスワヒリ語を聞いて耳で覚えたのだと言っていました。
以上の話を、クレアは淡々と語りましたが、そのあまりの壮絶な内容に絶句してしまいました。だけどクレアは「絶対に神様が助けてくれると信じている」と言います。絶対に元気になって医者になるんだ、と、目を輝かせていました。
カテンベの病室に行ってから、クレアの話をしました。カテンベは、「ホテル・ルワンダ」を見たのでルワンダの虐殺について知っていました。仲良しのジェニアちゃんは、虐殺のときに赤ん坊でした。毎日カテンベのお見舞いに来てくれるジェニアちゃん親子は、虐殺のときにずっと逃げていたのだそうです。
ジェニアちゃんとクレアは、ルワンダ政府から医療費を助けてもらっているけれど、手術後の薬代に関しては、3か月分までしか支援されないそうです。そのあとは自費でまかなうように言われているということです。これから一生飲み続けなければならない高価な薬、それをこの子たちは得ることができるのだろうか、と、それがとても気がかりです。ジェニアちゃんの実家はコンゴ国境付近でかなりの奥地です。早く元気になって家に帰りたい、と言っているけれど、帰ったあと彼女たちはどうなるのだろう。
とても気がかりだけれども、だけど今は、命を取りとめた奇跡に、喜びでいっぱいのキラキラした時間を、親子ともどもしみじみと抱きしめている毎日です。まさに、今の一瞬一瞬が、本当に貴重なのですね。
この人々すべてに、たくさんの幸運と奇跡がありますように、これからの人生が幸福と喜びで満ちていますように、と、心から祈ってやみません。
クレアは、キベラのマゴソスクールのことにとても興味を示したので、写真を見せながら説明をしました。「どうやって運営しているの?お金はどうしているの?」と聞くので、CD制作のことや、私が記事を書いたり講演をしたりした収益を使っていることなどを話したら、これにとても熱心な興味を示しました。
「私のことも書いて欲しい! そして知って欲しい。写真撮って。そして皆さんにこんにちはと伝えてください」とクレアが言いました。
なので今日は、クレアのこんな個人的な内容ですが、クレアの意志にしたがって書かせていただきました。写真も添えます。クレアが望んだとおり、彼女の今このときの笑顔に出会ってください。
ルワンダ人のクレアちゃん ]]>
2006年10月31日 手術後6日目
http://keepmusic.exblog.jp/3698281/
2006-11-04T01:47:24+09:00
2006-11-04T01:40:31+09:00
2006-11-04T01:40:31+09:00
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経過報告
カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介
基金口座振込み先
UPEPOアフリカの風ネットワーク
今日もますます元気なカテンベ。
チキンとごはんをたいらげました。
早くも、動き回りたくてうずうずしているもよう。
ムウォンゲラ先生も「すごい勢いだなー」と苦笑するくらいの元気っぷり。
なんと、明日はお母さんが退院できるかもしれません。
カテンベはあともう少しですね。
手術後6日目のカテンベ。会心の笑顔!
手術後6日目のカテンベと匡哉。2人がマスクをしているのは、感染を防ぐためです。
面会謝絶の部屋に一瞬しのびこみました。
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2006年10月30日 手術後5日目
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2006-11-04T01:34:01+09:00
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keep_music
経過報告
カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介
基金口座振込み先
UPEPOアフリカの風ネットワーク
今日はキベラのマゴソスクールで9月22日リリースの新作CD「ミレレ」の鑑賞会をしました。
リリアンが、丁寧に、このCD制作のこれまでの道のりについて、マゴソスクールのみんなに話してくれました。
ふだんキベラのみんながいつも歌っている歌に、匡哉がギターやベースをのせて、福井君がキーボードをのせてくれて、ヨースケ君がキベラの絵を描いてくれて、デザインをしてくれて・・・
病気と闘っている最中のカテンベと、カテンベの姉妹弟たちも歌いました。
みんなで力を合わせて作り上げた作品です。
匡哉が、大きな音で聞けるステレオを持ち込んで聞かせてくれました。ストリートからやってきたトニーや、母親が死んでから労働させられていたエミテワや、虐待受けていたアギーやアピヨ、病気と闘っていたカテンベなど、ソロを歌うひとりひとりの存在感が浮き彫りにされていて、すごいリアリティと共に迫ってきます。
逆境を乗り越えて精一杯生きている子供たちの生命力や、時間を追っての成長ぶりがひしひしと感じられる歌声です。
みんなで心から喜びあいました。
いろいろと大変なことがあっても、これからもがんばっていける力をもらいました。
それからカテンベに会いに病院に行きました。
今日のカテンベは、ますます元気で、今日は30分くらい歩いたそうです! 私が行ったときにも、歩きたいと看護婦さんに言って、面会謝絶の部屋から歩いて出てきました。素晴らしい笑顔でした。
しっかりした足取りで歩いて、私はあまりにも嬉しくて涙がちょちょぎれました。
どんどん元気になっていくカテンベの姿、そして、同じ手術を受けてとっても元気になったジェニアちゃんの姿、再生していく命のしなやかさに触れて、私は、この世の中で最も美しいものを見せていただいている気持ちです。
今日、新作CD「ミレレ」をみんなで聞いているときも、マゴソスクールの子供たちひとりひとりの表情に目がくぎづけになりました。そのひとりひとりは、とても過酷な状況の中で生きています。でも、生きています懸命に。その子供たちが、手拍子を打ったり歓声をあげたり、そして笑顔をきらめかせたりしている様子を見ていると、涙が出てきてしまいます。
命とは、しなやかで美しいエネルギーですね。
それをおしえてくれたすべてに、「ありがとう」という気持ちです。
ここ数日、感動することばかりの連続で、心の中がはちきれそうです。
毎日、カテンベに会いに病院に行くのが、楽しみでたまりません。
明日の様子はどんなかな! どうかお楽しみに!
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カテンベの写真
http://keepmusic.exblog.jp/3672999/
2006-10-31T13:26:42+09:00
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経過報告
手術前1
手術前2
手術後ICUで目覚めたカテンベ。左手の親指に注目
部屋から出て廊下を歩くカテンベ
外に出てくつろぐ父さん母さん
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