カテゴリ:経過報告( 53 )
近況報告 2006年5月12日
早川千晶

カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介
イベントのお知らせ
基金口座振込み先

最近、カテンベのところにお客さんがたくさん来てくださいました。
まずは、青年海外協力隊員で新規にケニアに着任されたばかりの13人です。この日は、赴任地に着任する前の研修の一環ということでキベラスラムの生活状況を知るための研修にご案内したのですが、最後にカテンベの応援に寄ってくださいました。元気なお兄さん・お姉さんたちで狭い部屋がいっぱいになり、カテンベは目を白黒させていました。なにしろ、これから2年間、ケニア各地の村々でボランティア活動をされる人々なので、すごくパワフルで、カテンベは元気をいっぱいもらえたと思います。
次は、ゴールデンウィークのスタディツアー「アフリカ雑学入門」に参加した皆さん。6名。日本出発前に、このブログを見てくださっていて、到着早々、「カテンベ君のお見舞いに行きたいです」との嬉しいお申し出がありました。みんなでお店に寄って、カテンベ励ましグッズのおみやげを買うのが、ケニア到着後のはじめての買い物となりました。
ちょうど学校がお休みの時期だったので、カテンベの姉、弟、妹たちが村からカテンベに会いに来ていたので、合計5人の子供たちにおみやげを買いました。
カテンベには、水彩絵の具セットとスケッチブックを選びました。高校生のお姉ちゃんには分度器セット。弟、妹にはTシャツ。一番小さなメジラ(マリアム・3歳)には、笛つきのちっちゃな赤い傘です。メジラはこれに大喜びで、「これ持って、幼稚園に行くんだ!」と叫んでいました。
みんなが遊びに来てくれて、片言のスワヒリ語で話しかけてくれたり、カテンベもみんなに質問したり、歌を歌ったりして、とても楽しい時間を過ごしました。
訪問してくれた皆さん、ほんとにありがとう!
メジラは翌週の月曜日から早速、幼稚園に通い始めました。大雨が降り続いてドロドロだったキベラなのに、メジラが幼稚園に通い始めたら雨があがりました。だけど赤い傘を下げて行っています。先生に、「雨が降っていないときは、傘を持ってきたらダメよ」と注意されても、どうしても持って行くといってきかないとのことです。

さて、愛媛県松山市から、強力なヒーラーのお客様がきてくださいました! 
彼女は万寿さんといって、ケニアに旅行に来られたのです。私の大阪のお友達の紹介で出会うことになりました。
万寿さんにヒーリングをしていただいて、本当にびっくりしました。カテンベの前に、先に私と匡哉やってくれたのですが、万寿さんの手がまるで温風ヒーターのようで、手を当てているわけではなくても手から熱が伝わってくるのです。
カテンベにヒーリングをやってくださっているとき、停電しました。だけど万寿さんはそのまま続けました。すると、真っ暗闇の中で彼女がかざしている手から、光が出ているので、これには本当にびっくりしました。その場にいた全員が見ました。カテンベも見ました。
カテンベに手を当て始めたら、最初は、(そこに手を当てているわけではないのに)カテンベがひざと足の先がぴりぴりして痛いと顔をしかめはじめました。でも彼女がカテンベの中に光を流していくにしたがって、ぴりぴりした痛みが次第に引いていきました。
カテンベは、腕に手術したシャントが使えるようになったので、肩から入れていた透析のための管を抜いたばかりでした。この管を抜いたあと、細菌感染したようで、リンパ腺がひどく腫れて、カテンベはとても痛がっていました。触ってみると、ぼこっと、こぶのように膨れ上がっていました。万寿さんは、ここにも集中的に手を当ててくれました。すると、とても不思議なことに、腫れが引いていくのです。しばらくすると、腫れも引き、痛みもなくなりました。
万寿さんは、カテンベの体中に光を通しましょう、と行って、カテンベをぎゅーっと抱きしめました。
そして、カテンベに、詳しくいろいろなお話をしてくれました。
神様の光が通って、それがこれからもずっとカテンベの体の中を走り続けているからね。と言われて、カテンベはものすごく嬉しそうでした。
体のつらいところや、弱っているところや、食べたら体によくない食べ物など、自分の体に聞いてみたらカテンベには自分でわかるのだから、いつもそうやって自分の体に語りかけてみてね、と言われました。ちょっと食べて体に聞いてみる、というふうにやってみたらカテンベにはわかるよ、と言われました。
そして、朝起きたときと、夜寝るときに、必ず、神様とお話をしてね。と言われました。カテンベは神様に守られているから、心配しないで、みんなで笑って楽しく暮らしてね。
カテンベは、ひきこまれるようにしてそのお話に聞き入っていました。
それからのカテンベは、すごく変わったように思います。
人工透析という治療に頼り切るのではなく、自分の体に自分で問いかけてみる。自分で体の奥の声に耳を傾けてみる。カテンベの目の中に、強い光が入ったように思います。
心配しきっていたお父さん、お母さんも、変わりました。翌日カテンベの家を訪ねたら、階下に聞こえてくるほど笑い声があふれていました。
深い愛が伝わるというのは、こういうことなのだなぁと思いました。私も、とてもウキウキとした気持ちになりました。
神様にお話するとき、「治してください」とお願いをするのではなく、「どうか、魂をいちばん良い状態に導いてください」とお祈りするんだとおしえてもらいました。
それからカテンベは、真剣に、神様とお話をしています。
夢も見たそうです。自分の手からも、光がぱあぁぁぁ~っと出ている夢だったそうです。
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by keep_music | 2006-05-13 12:43 | 経過報告
近況報告 2006年4月27日
早川千晶

カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介
イベントのお知らせ
基金口座振込み先

現在、匡哉が日夜がんばってカテンベ基金のためのチャリティCDを制作しています。

キベラのマゴソスクールの子供たち、スラムの若者ゴスペルグループ・マシモニユースグループの面々も、カテンベを救うためのCDに参加することにやる気まんまんで取り組んでいます。

ミリティーニ村の「ジュンバ・ラ・ワトト(子供の家)」の子供たちは、先日、「カテンベのことが心配で、夜も眠れない。何か僕たちにできることはないの?」と聞いてきました。だから、匡哉がチャリティCDを作っているよ、と話しました。そうしたら、「僕たちもそれに参加したい!」と言って、グループを組んで歌とパーカッションの練習をはじめました。
村の長老で匡哉の師匠であり、カテンベの叔父でもあるマテラさんが指導にあたりました。
先週、匡哉はミリティーニ村に数日間だけ戻り、この子供たちの歌を録音してきました。数日間に渡り、朝から晩までひとつの曲に取り組みました。
途中でスコールが降り始めると、激しい雨がトタン屋根を打ち鳴らして、大騒音になります。そうすると録音は中断。雨がやんだらまた録音をはじめます。
こういうみんなの様子は、カテンベにもお話しているのですが、カテンベは「自分はひとりじゃない」という実感を持ちはじめていると思います。

学校がお休みの時期に入り、カテンベの妹、弟、お姉ちゃんがナイロビにやってきました。ひととき、カテンベの住まいはにぎやかになり、みんな再会してとても嬉しそうです。カテンベの闘病のために両親は忙しく走り回っていますので、まだ小さな妹や弟はさびしい想いに耐えてきていました。子供たちでいっぱいの明るい食卓は楽しいものです。

さて、兄弟姉妹5人が勢ぞろいしたので、ここでもレコーディングをしようということになりました。
カテンベが、自分も得意な歌を歌いたい、と言ったのです。
じゃ、ちょっと録音してみようか、と匡哉が言い、録音機材を持っていきました。カテンベが歌いはじめて、びっくり。カテンベがリードして、兄弟姉妹全員で、イスラムの歌を数曲歌いました。
哀愁ただよう、ちょっぴりもの悲しい切ないような旋律を、カテンベがとても美しい声で歌いました。こぶしもきいていて、目をつぶるとアラビアの砂漠が浮かんでくるようなかんじです。
実はカテンベ、こんなに具合が悪くなる前は、地元のモスクで一番歌がうまいチビッコだったのだそうです。モスクのお祭りのときなどは、ひとりでマイクを持ってたくさんの人々の前で歌い、拍手喝さいをあびて、たくさんの贈り物をもらったのだそうです。
カテンベは、匡哉に録音をしてもらって、一生懸命歌って、とても嬉しそうでした。とても充実した顔をしていました。

兄弟姉妹全員で歌う歌声を聴いていたら、私は涙が出そうになって困りました。
チャリティCDは完成までにまだ時間がかかりそうですが、どうか楽しみにしていてください。

早川千晶
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by keep_music | 2006-04-27 14:06 | 経過報告
近況報告 2006年4月18日
早川千晶

カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介
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基金口座振込み先

数日前に、カテンベのもとに嬉しい訪問者が来てくれました。
ロンドンに住んで10年になるケニア人のカレンさんとその妹、マリオンさんです。
カレンさんは10年ぶりの里帰りで、ケニアに3週間の予定でやってきました。
私とカレンは昔からの友人ですが、10年ぶりの再会でした。
積もる話がたくさんあったのですが、ケニアを去ってから彼女のロンドンでの10年間の話を聞いて、私はとても驚きました。
私が知っていたカレンは、高校を卒業したばかりのとてもかわいい女性でした。彼女はひょんなことでロンドンに移り住み、その後、様々な運命の展開があったのです。
彼女はこの10年の間に2回、臨死体験をしたということです。
はじめは2001年に、完全に心臓・呼吸も停止して、体につけていた機械が完全にフラットになり、家族の人々は医者に「ご臨終です」と言われ、死亡時刻まで言われてからあと、よみがえったのだそうです。
それから次は2004年11月に、2人目の娘を6ヶ月で早産したときに、出血多量で危篤状態に陥り、やはり、心臓が停止したのだそうです。
ところが彼女はそのときもまたよみがえり、それからあと、不思議な力を持つようになったということを話してくれました。
カレンいわく、「神様の声が聞こえる」ようになったのだ、と。
そしてそれから彼女は、祈ることをはじめました。
苦しんでいる人のために祈る、病気の人のために祈る、ということです。
そして、苦しんでいる人々のために奉仕をすることが、自分の人生の仕事であると確信して、様々な活動をするようになりました。
今回、私に会いにきてくれたのは、私がサポートしているスラムの孤児の子供たちに会うためでした。カレンはキベラスラムのマゴソスクールに遊びにきてくれたのですが、大量の食料をたずさえてやってきて、そして、子供たちのために祈ってくれました。その祈りの強烈だったことといったら。私はとても驚き、そして、とても感動しました。
マゴソスクールのいつも元気なオディアンボ君が、カレンのお祈りを聞いていて、突然、爆発したように泣きました。彼はとてもやんちゃ坊主のように見えるのですが、実は、両親を病気で失ってからあと遠縁の親戚に引き取られ、そこで虐待を受けています。
それから、母親が死亡してから労働力として売られていっていたエミテアちゃんが、あとでカレンのそばにきて、私たちのために祈ってください、と言ってきました。エミテアと仲良しのナンシーも一緒に、カレンと3人で手をつないで、とても強力なお祈りをしました。エミテアは泣いていました。

私はカレンに、カテンベの話をしたのです。
そうしたらカレンは、カテンベに会いたいと言いました。なのでマゴソスクール訪問のあと、カテンベの家に会いにいきました。
カレンはカテンベの手を握って、とっても長いお祈りをしてくれました。
本当に、神様に話し掛けている様子なのです。
すごく親身に、そして、とてもとても強く、神様に、カテンベを守ってください、カテンベを助けてください、と祈ってくれました。
そしてそのときに、「神様、カテンベの命を活かしてください。そしてカテンベはきっと助かったあかつきには、苦しむ人を助ける人になります。助けられたことをカテンベは決して忘れません。だから神様、どうかお守り下さい」
と言いました。
私はこのお祈りを聞いていて、とても感動して涙があふれました。
こんなに自然に、こんなに力強く、神様に語り掛けている姿を見たことがありませんでした。
そしてそこに、とても強烈に、存在感が感じられたのです。
カレンは、カテンベの部屋の壁や入り口、窓、そしてベッドの上にも、お清めをしてお祈りをさずけました。
家中に、精霊が満ちて、カテンベが守られますように、と、何度も何度もカレンは言いました。

カレンのお祈りのあと、カテンベはとても喜び、興奮状態でした。「僕はこれで治る気がする!」と言ったそうです。
お祈りによって病気に奇跡が起るかどうかはわからないけれど、私が思うに、こんなに真剣に自分のことを考えてくれた人がいる、という実感を持ったこと、それは、命に力を吹き込んでくれるんだと思います。
祈りの力は、すごいですね。
自分のために祈るのではなく、自分ではない誰かのために祈るということは、なんて美しいことかと思います。

先週、カテンベの故郷のミリティーニ村に行きましたが、村の子供たちが、「カテンベのことを考えると心配で、夜も眠れない。」と言ってきました。そしてみんなでお祈りをしました。毎日、カテンベのためにみんなで祈っているそうです。

カレンは今日の夜の飛行機でロンドンに帰りました。
6ヶ月の早産で生まれた、体重1kgにも満たなかった娘のマーシーは、心臓に穴が2つもあいていたのだそうです。生まれて直後に手術を行い、なんども生死の境をさまよったと言います。だけどとても元気に1歳になり、飛行機に乗ってケニアのおじいちゃんとおばあちゃんに会いに来たのです。
カレンは、「カテンベは必ず助かるわよ!
ロンドンからもお祈りしているからね!」と力強く言って、あばれるマーシーちゃんをだっこしてナイロビを出発しました。
カテンベはカレンにとっても励まされた様子でした。

2006年4月18日

早川千晶
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by keep_music | 2006-04-19 11:50 | 経過報告
「カテンべ救済基金」が産経新聞に掲載されました
カテンべ救済基金のことが、産経新聞の記事になりました。

産経新聞社 Sankei Web
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by keep_music | 2006-04-07 23:29 | 経過報告
近況報告 2006/4/7 その2
カテンべが勉強をはじめました

早川千晶

カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介
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カテンべの透析生活は順調ですが、週3回の透析の体への負担は大きく、体調を崩すこともしょっちゅうです。透析を受けている間に吐いたり、激しい頭痛や胸の痛み、呼吸困難などに苦しまされています。
そのせいで、4時間の透析を完了することができず、3時間ほどで中断しなければならない日も多いです。
そんなときはカテンべは落ち込みます。痛みもひどいし、涙が出てしまうほどつらいのです。
この前は、あまりにもつらいので、「もうあさっては透析に行きたくない」と言って涙をこぼしました。
それでも、がんばらなきゃと思ってカテンべはつらさに耐えています。

先日、夕食時におしゃべりをしていたときのことです。その日カテンべは饒舌で、楽しそうにユーモアをまじえながら、これまで自分が受けてきた手術のときの医者や看護婦の様子などを、ジェスチャー入りで面白おかしく語りました。
そのときの自分の不安な気持ち、麻酔をされるときの気持ち悪さ、医者や看護婦が右往左往する様子など、まるで実況中継のように表現力豊かに語ります。
透析のときのもようも、とても詳しく、実況中継してくれました。
透析をするのに上手な看護婦はいいけど、下手な看護婦にやられるとすごく痛いこと、ナイロビ腎臓センターの透析室で、10台くらいのベッドに横たわって透析を受けている「常連さん」たちの様子など。
「常連さん」たちは主におじさんたちが多く、みんな、手馴れた様子で仕事をしながら透析を受けたり、ヒマをつぶすための「お遊びセット」を持ってきていたりなど、カテンべの解説はとても面白かったです。
カテンべのように小さな子で透析を受けているのは他にいないので、おじさんたちにまざってカテンべは異色な存在です。

こんな話をひとしきり聞いてから、私はカテンべに、「カテンべは、病気のことについてほんとに詳しいよね。そして、病気のときのつらさが、誰よりもよくわかるね。カテンべのような人がお医者さんになったらいいのにね!」と言いました。
するとカテンべは、恥ずかしそうにはにかみましたが、嬉しそうにうなずいていました。
それから私はカテンべに会うたびに、「カテンべがお医者さんになってくれたら、私は、病気になったらドクターカテンべに診てもらいたいな!」と言うようになりました。そのたびにカテンべは笑います。だけど、まんざらでもない様子です。

私は、カテンべ一家のキベラプラザでの生活を見ていて、いつも、気になっていることがありました。
一日置きに透析に通うことだけが、日々の生活の中で中心になっている出来事です。
村から出てきて慣れない都会暮らしと、息子の病気への心配で、お父さんもお母さんも、ストレスでいっぱいになっています。
カテンべは、歩くことができないから、ほとんど一日中、家の中にいるしかありません。
自分のベッドに横たわっているか、居間のソファに座っているか。
匡哉がいるときは、匡哉が一緒にお絵かきをしたり、音楽を練習したりしています。
だけど、そうやってつきっきりでいる匡哉も、そのうち体調を崩してしまうのではないかと私は心配になりました。
14歳といえば、ほんとは、将来について考えはじめたり、目標や夢を持ったりしはじめるときです。思春期になって、親と一緒にいるよりも自分の世界を広げていく頃でしょう。それなのにカテンべは、5年生から学校にも行けず、将来について目標や夢を持つこともできず、ただひたすら、一日おきに透析に通うだけの毎日です。
母親とも24時間びったりと一緒にいなくてはならず、何から何まで世話をしてもらわなければなりません。これも思春期の男の子にとって、ひどいストレスに違いありません。
カテンべは極度の発育不良で体の大きさが小学校低学年くらいにしか見えません。だから、近所の子供たちも、遊びに来るのは、7歳や8歳の小さな子供たちばかりです。
だけどカテンべは14歳なんです。カテンべの精神は、思春期の男の子です。カテンべの同級生だった子供たちは、みんな、カテンべをはるかに追い越して大きくなっていきました。もう立派なお姉さん、お兄さんばかりです。カテンべだけ取り残されて、小さいままです。
こういう状況は、彼の精神にいかに負担を与えているかということが、常々、私は気になっていました。
彼も、思春期の男の子らしいことができるといいなと思います。
将来に夢や目標を持って、それに向かって前進していく時間を過ごすことは、今は歩くことができないカテンべにだってできるはずです。
そのためには、彼も、勉強ができるチャンスがあったらいいなと思いました。そして、自分よりも年上のお兄さんがいたら、いろいろな話し相手になってもらえるし、刺激を受けてよいだろうなと思いました。
そこで、カテンべに聞いてみました。
勉強することって楽しいよ。家庭教師が来てくれるようだったら、勉強してみる?そう聞いてみました。
すると、カテンべは、目を輝かせてうなずきました。「やってみたい」と言いました。

そこで、私は同じキベラプラザに住むお友達のオティエノ君に相談をしました。
オティエノ君は苦学生です。彼は小さいときに両親を亡くし、おじさんの世話になって高校までを卒業しました。今は専門学校に通いながら、おじさんの家の手伝いをしています。
カテンべの家の1階下にオティエノ君とおじさんは住んでいます。
オティエノ君に相談してみると、彼はその事情をとてもよく理解してくれました。そして、カテンべに家庭教師をしてくれることを快諾してくれました。これはとても嬉しかったです。
苦学生であるオティエノ君ですから、無償奉仕のボランティアではあまりにも悪すぎると思いました。なのでわずかでも私が出したいと思って、オティエノ君に「ざっくばらんに言って、いくらでやってくれる?」と聞いてみました。
そしたらオティエノ君は、ものすごく躊躇したすえに、「月に2000シリング(約3400円)でももらえたら嬉しいな」と言いました。
なんと! 毎日2時間づつ、教えにきてくれるというのに。これは無償のボランティアといってもいいような金額だと思います。
これは私がカテンべへのプレゼントにすることにしました。
オティエノ君に3000シリング分の教科書を見繕って買ってきてもらいました。
4年生と5年生用の算数、理科、社会、英語、スワヒリ語。と、新品の教科書とノートがそろいました。

それからカテンべは、ものすごく張り切って勉強に励んでいます。
オティエノ先生はとても熱心におしえてくれて、さらに、透析にも付き合ってくれたり、と、すごく心強い味方です。
お母さんのストレスも軽減されるようになってきたみたいです。

それから私は、カテンべに会うたびに、毎回、「勉強は、どう?」と聞きます。
カテンべは、そのたびに、ノートや教科書を見せてくれて、いろいろ解説してくれます。そうやって話しているときのカテンべは、とても生き生きしていて嬉しそうです。

カテンべがいつかほんとにお医者さんになれる日がきたら、すごいですね!
きっと、誰よりもよく、患者さんの体のことや気持ちがわかるお医者さんになれると思います。

早川千晶
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by keep_music | 2006-04-07 23:11 | 経過報告
近況報告 2006/4/7 その1
[カテンべ救済基金・ケニア版ができました]

早川千晶

カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介
イベントのお知らせ
基金口座振込み先

こんにちは。ナイロビから早川千晶です。
ケニア側でも基金を立ち上げ、銀行口座を開設することができました。
この口座は、カテンべの父親と、ナイロビでの最大の協力者であるキベラスラム在住のリリアン・ワガラの2名が連名で署名者になっています。2名両方がサインしなければお金を引き出すことはできません。
私が口座の出入金の確認と報告をすることになりました。
これから、この口座は、ケニア在住者と、日本以外の外国からの募金の受付として使います。
ロンドンに住んでいるケニア人の友人を通じて、ロンドンのアフリカ人コミュニティにも呼びかけをしてもらうことになりました。
ケニア内での募金運動は、カテンべの家族を中心として、村の有力者たちでハランベー委員会を組織して進めていきます。
近日中に、「カテンべ救済基金」の英語版を作りたいと思っています。

口座名: Katembe Medical Fund
銀行名: Kenya Commercial Bank
支店名: Kipande Branch
口座番号: 005141331122

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by keep_music | 2006-04-07 23:05 | 経過報告
近況報告2006年3月26日
大西匡哉
UPEPOアフリカの風ネットワーク
カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介

ナイロビは久々に冷たい雨が降り、乾いた土を潤しています。
しかし話によると海岸地方ではではほとんど雨が降っておらず、長引く乾期にみな辛抱しながら生活していることと思います。

カテンべは順調に透析を続けており、体調も安定しています。
足腰は依然として良くなく歩くのもやっとの状態が続いていますが、表情はだいぶ明るくなり、病気に対しても前向きに立ち向かって行こうとしてるのが見て取れます。

先週の火曜日、カテンべと家族のみんなでナイロビナショナルパークの一角にある、「ゾウの孤児院」と「キリンセンター」に行ってきました。
カテンべは実物を見たこともないのにスケッチブックにゾウの絵を書いていたので、それを見た千晶さんが「本物を見せてあげたい」といって、連れて行ってくれたのでした。
ゾウの孤児院は、ケニヤ各地で密猟者などに親を殺害され、孤児になった子象やサイの子供などを集めて、ある一定期間世話をしているところです。
初めて間近で見る子象たちに、カテンべは少々おびえながらも興味深く眺めていました。が、3歳の妹マリアムは初めて見る異様な生き物に驚き、泣き出してしまいました。
キリンセンターでは二人とも大きなキリンたちに(キリンたちの唾液で手をべとべとにしながら)喜んでエサをあげていました。
カテンべは長いこと病院以外の場所へ行くこともなく退屈していたところだったので、いい気分転換にもなり、とても楽しんでいました。

さて、カテンべの腎臓は今ほとんど機能していないので、透析を受け続けなければ生きられない状態です。
透析は機能しなくなった腎臓にかわり、血液を浄化してくれるのです。
この透析を受けるのに毎回15000円以上の費用がかかります。
カテンべは週に3回の透析を受けなければならないので、透析だけでも月に20万円以上かかる計算になります。
現在透析にかかる費用は募金から直接出しているので、事実上日本のみんなのおかげで命をつないでいることになります。
協力してくれている皆さん、ありがとうございます。
しかし一方現在募金は足踏み状態が続いており、このまま行くとあと数ヶ月で募金も底をつき、透析を受けられなくなってしまう可能性も出てきています。
透析を受けられないということは、それはそのまま死を意味します。
そこで、みんなでもっとアイディアを出し合って協力の輪を広げて行きたいと思うのですが、どうでしょうか?
横浜ハランベーはチャリティイベントとして素晴らしい成果を上げましたし、各地でコツコツ募金活動をしてくれている人たちもいます。
JIWEではチャリティCDを作ろうというアイディアもあります。
フリーマーケットの売り上げを寄付してくれた人もいます。
自分はそれほど出せないけど、とにかく周囲の人たちに声をかけまくって募金してくれているひともいます。
アクセサリーやTシャツを作って、その利益分を募金しようと言ってくれている人も居ます。

みんなでアイデアを出し合えばいろんな可能性が見えてくると思います。

日本で暮らしていたときは人の命の価値について、真剣に考える機会もあまりなかったように思います。
しかし、ここでの暮らしは「人が死ぬ」ということが当たり前のように目の前にあり、死と背中合わせで生活している人も大勢いる。
銃犯罪も日常茶飯事だし、「だれそれが先週死んだらしいよ」なんて話しもよく耳にする。

貧困や経済格差で苦しい生活をしてる人も数え切れないほど沢山います。
一日に飢餓で死んでしまう人が全世界で5万人もいて、一方日本国内で一日に捨てられている食品の量が3000万食もあるという話も聞きました。

世界中の人々の命の価値が平等ではないとしたら、一人でも多くの人が自分よりも不幸な環境に置かれた人を、それぞれのできる範囲で手助けできれば、世の中はもう少し幸せになるんじゃないでしょうか。

みんなの協力でカテンべに少しでも多くの生きる希望をあげられたらと思います。
よろしくお願いします。
2006,3,26  大西匡哉
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by keep_music | 2006-03-27 11:46 | 経過報告
最新情報
早川千晶
UPEPOアフリカの風ネットワーク

3月18日現在、集まった募金合計は 1,359,809円 になりました。ありがとうございます!これからもよろしくお願いします!


このブログをごらんになっている皆さん、こんにちは。早川千晶と申します。私はケニアに住んで18年目になる者で、大西匡哉君の友人です。匡哉の弟、カテンべ君が死の寸前でナイロビにやってきて1ヶ月ちょっとたちました。ナイロビで影ながら匡哉のサポートをさせてもらっています。これから私からもときどき、このブログでカテンべ君の最新情報をご報告させていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

生死の境をさまよって、めまぐるしい1ヶ月でしたが、ナイロビにカテンべが暮らすためのアパートを借りて週3回の透析に通いはじめてから、だんだんと状況は落ち着いてきました。まだほとんど歩けないし、片時も油断できない状況ではあるけれど、生活の場を安定させることができたせいで、カテンべ本人も家族たちも気持ちが落ち着いてきて腎臓移植手術に向けての準備をはじめています。
アパートを借りたのは、ナイロビのキベラという地区のはずれです。キベラは私が仲間たちと共に孤児のための学校を作っているスラム地区です。借りたアパートは、スラムの粗末な住居ではなく、清潔な環境で落ち着いて生活できるコンクリート5階建てのしっかりしたアパートです。カテンべが歩けないため、車で横付けできる場所、そして、衛生面に問題がない場所というのが条件でここに決めました。キベラには私たちの仲間がたくさんいますので、何かと手伝ってもらえるというのも利点です。ですが水が出ないので、水は毎日、下から4階の部屋までかついであがらなければなりません。
このアパートを借りてから、匡哉はずっとそこでカテンべと共に暮らしています。週3回は腎臓センターに透析を受けに行かねばならないので、そのたびにこの4階の階段をカテンべをかついで上り下りしなければなりません。
家にいるときのカテンべは、寝ているか座っているかしかないので、匡哉がカテンべの気持ちを盛り上げるために工夫を凝らしていろいろなことに挑戦しています。ピアニカを弾いたり、ラジオを聴いたりしていますが、この前遊びにいったときにはカテンべと匡哉のお絵かき帳を見せてくれました。カテンべが描いていた、村の生活風景の絵がとってもステキでした。家があって、外にトイレがあり、畑にはトウモロコシが豊かに育っている、という生き生きとした絵でした。匡哉も面白い絵を描いていました。小さな露店で野菜や果物を売るおばちゃん、バイクやバスが通り過ぎる道路の脇でタイコを叩いている人、遊ぶ子供たちや我が道をいくネコなど、その上には青空が広がっているというアフリカのにぎやかな街角の絵でした。早くカテンべが元気になって、他の子供たちと同じように裸足で走り回ったり、学校に行ったりできるようになるといいなと心から思います。

おだやかな生活が戻ってきたように見えるキベラプラザのアパート暮らしですが、実際には片時も油断することはできません。カテンべはいつなんどき、発熱や呼吸困難、痙攣などの発作を起こすかもわかりません。透析も順調なようですが、実際には、透析のたびに、透析中に発熱したり、吐いたり、胸の痛みを訴えて苦しむことがあります。なので匡哉は夜が心配だといって、夜間も泊り込んでいるのです。
こうやって匡哉がそばにいてくれることで、カテンべやカテンべの両親はどれだけ心強く思い、救われていることだろうかと思います。私はこれまで長い間、アフリカの様々な村に関わりを持ってきましたが、あちこちで、重病の大人や子供に出会うことありました。何度か訪れたことがある村では、10歳のときに全身に焼けどを負った男の子がいました。貧しい親は医療費を捻出できず、何年たっても彼の焼けどはジクジクしたままで癒えることはありませんでした。全身焼けただれてひどく痛み、彼は歩くことも家の外に出ることもできず、ただボロ布を体に巻いて、真っ暗な部屋の中で横たわっているだけです。土壁に藁葺き屋根の粗末な住居には、とても小さな窓しか開いていません。光も風も、部屋の中にほとんど入ることはなく、昼間はうだるような暑さです。傷口に蝿がたかり、化膿させ、さらに痛ませます。彼はただそこに横たわり、来る日も来る日も、ひたすら痛みに耐えていました。
別の村で出会った女性は、6歳の子供を残して死にました。彼女は重病で、寝たきりになってしまいましたが、やはり貧しさのせいでまともに医療を受けることができませんでした。寝たきりの彼女に食事を運んでいたのは6歳の息子です。最後の日、彼女は、外に出て空気が吸いたい、と言ったのです。息子は、近所の人に助けを求め、土壁の貧しい小屋から彼女を外に出してもらいました。彼女はその後まもなく、外の空気を吸いながら息を引き取りました。その6歳の息子は、その後ナイロビのキベラスラムにやってきて、現在は私たちの学校に住んでいます。5年生になりました。
このような苦しみを、彼らはなぜ負わなければならないのか。私はこれまで何度も、そんな場面に接しても何もできず、無力感にさいなまれてきました。カテンべは匡哉に出会って、苦しみに対して無力だった自分から、今、刻一刻と変化していっている自分を実感していると思います。カテンべの人生をより良いものにするために、全力で取り組んでいる匡哉の誠意は、カテンべに今まで得たことのない希望を与えてくれていると思います。そして、匡哉の呼びかけに瞬時に応えてくれた、日本のたくさんの人々の気持ちは、カテンべに苦しみを乗り越えて生きていくための勇気と力を与えてくれていると思います。

日本からの励ましの声はカテンべの心にまっすぐ響いているという実感を、ここのところ私はカテンべに会うたびに感じています。彼の表情が変わってきました。そして、自ら積極的に病気に立ち向かっていこうとする心意気が、いろいろな場面で伝わってくるようになりました。本当は食べたくて仕方がないものもガマンして、自分で食べるものに気をつけるようにもなってきました。瀕死だったカテンべにとって、ナイロビにやってくる直前には、自分が死の一歩手前にいるという実感があったのではないかと思います。そして、そこから救い出してくれた匡哉は、今のカテンべにとって、生きるために残されている唯一の希望の光に見えているようです。だから、カテンべは匡哉の言うことを全部真剣に聞きます。まっすぐに信頼を向けてがんばっています。

皆さんにとって、会ったこともない、まったく見ず知らずのアフリカのひとりの男の子のために、励ましの気持ちや温かい心を届けてくださって、本当にありがとうございます。瀕死のカテンべを目の前にして、途方に暮れていた私たちですが、そんな私たちにこうして力を与えてくださった皆さんに心から感謝しています。この気持ちをどうやって表したらいいのかわからないのですが、とにかくカテンべにとって最良の方法を模索して最善を尽くすこと、そして、カテンべのように苦しまされている世界中の人々に少しでも救いがあることを祈り続けたいと思います。希望というのはひとりで生みだせるものではなく、たくさんの人々に支えられて勇気や希望や生きる力を与えてもらえるのだということを実感する毎日です。

皆さんにたくさんの「ありがとう」を届けたくて、ブログに書き込みさせていただきました。

これからもちょくちょく、カテンべと匡哉の様子を報告させていただきたいと思います。


2006年3月19日
早川千晶
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by keep_music | 2006-03-20 09:34 | 経過報告
経過報告2006年3月10日
大西匡哉

カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介

カテンべをナイロビに連れてきてから一ヶ月がたつ。

最初に医者には「もう手遅れだ」と言われ、M・P・SHAHホスピタルに緊急入院し、透析を始めてからも嘔吐や痙攣や割れるような頭痛に襲われ、やっと退院したのもつかの間、夜中に呼吸困難を起こし、M・P・SHAH緊急搬送し再入院と、何度も生死を彷徨ってきた。
付き添ってきた自分も、この小さな命の行方に何度も胸を締め付けられ、祈り、とにかく少しでも良くなるようにという気持ちだけで動き回ってきました。
そして、今なおカテンべはたくさんの人に支えられながら、着実に一歩一歩前進しようとしている。

現在カテンべはじっくり闘病生活を送るため、ナイロビのキベラスラムのアパート(キベラプラザ)を間借りして、週に3回透析に通っています。
状態はほぼ落ち着いており、透析にもだいぶ慣れてきたようで、昨日の透析時も2時間経過後に血圧が153/95、脈拍100まであがりましたが、その後とくに何の症状もなく(今までならその後激しい頭痛や吐き気などに襲われていました。)無事4時間の透析を終えました。
透析後の体重は25kg。

キベラプラザでの生活も、自由に遊びたいときは遊び、トランプをしたり、ピアニカの練習をしたり、スワヒリ語の民話の本を読んだり、ラジオでポップスを聞いたりと楽しく過ごしています。
が、まだ疲れやすいようで、しばらく起き上がっていると「首が疲れた。」と言ってソファに横になります。

キベラプラザはマーケットとバス通りに挟まれた一角に建てられた5階建てのアパートで、カテンべたちの部屋は4階。窓からはマーケットが見渡せてなかなかにぎやかなところです。
このところ毎日夕方に大雨が降るので、このマーケット、足元はドロドロ、長靴がなければとても歩けません。
長靴を履いて歩き回ってみると、野菜、果物、豆、とうもろこし、ジャガイモ、マンゴー、靴、布や服、ラジカセ、鍋やヤカン、炭、コンロ、ニワトリ、その他細々とした日用品など、ところ狭しと様々な品物が掘っ立ての店に並べられ、なかなか楽しいところです。
カテンべは時々窓からこのマーケットを眺めています。
マーケットの向こうには小学校が見え、休み時間には広いグラウンドを走り回っている子供たちの遊び声が聞こえてきます。

引っ越してきた初日、カテンべと二人でアパートの屋上に登ってみました。
階段があるのでおんぶしてやろうとすると「大丈夫だ、」と言い、自力で登り始めました。
片方のうでを支えてやると、もう一方の手で手すりを掴み、上半身の力で下半身を引き上げるようにして、ゆっくりとですがとうとう最後まで登りきった。屋上には洗濯物がたくさん干してあり、その向こうにはキベラのトタン屋根が果てしなく続いていた。

カテンべの足腰はまだ相当弱っているようです。
平地でさえ壁や他すりに捕まりながらゆっくりとぎこちなく歩いています。

友人の送ってくれた情報によると、腎臓から排出されるはずのリンが血液中にたまると、副甲状腺を刺激し、副甲状腺ホルモン(PTH)が分泌され、骨を溶かすらしい。
同様に腎臓で活性化されるビタミンDが不足すると、食物中のカルシウムを吸収できず、血中カルシウム濃度が減り、それを補うためにPTHが分泌され骨を溶かす。
実際カテンべの最初の血液検査の結果は、リンは2,30mmolで平均以上、カルシウムは1,13mmol で平均の半分以下だった。
さらにクレアチニンという老廃物は1155,00mmolと平均の約10倍以上で、腎臓がほぼ機能していないことを示している。
このほかにも赤血球やヘモグロビンの数値も恐ろしく低く、カテンべがどれほど危険な状態であったかということを物語っていた。

健康体であれば、これらの数値は体の様々な働きにより正常に保たれるのだが、カテンべの腎臓はもう機能していないため、透析を受けなければまたすぐにでも危険な状態になってしまう。
そもそもカテンべの腎臓はもともとはどこも悪くなかったのだ。
ただ腎臓と膀胱をつなぐ尿管という管が詰まってしまったために、尿が腎臓にたまり、ついには機能しなくなってしまった。
腎臓は一度壊れると二度と回復しない臓器だという。せめて5年前にもっとマシな医者に見てもらえれば、尿管のつまりを取り除くだけの簡単な手術で回復していたかもしれない。

この小さな少年の運命は、いまだ先の見えない闇の中にある。

2006,3,10      大西匡哉
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by keep_music | 2006-03-10 11:54 | 経過報告
透析を受けるカテンベ
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カテンべが透析を受けている写真です。(2月24日撮影)
この写真では、ちょっとふっくらして見えるのですが、実はこれはむくんでしまっていたせいでした。
この写真の2日後に、発作を起こして集中治療室に運び込まれました。
息ができない、と大変苦しんだのですが、肺に水がたまっていました。
その発作のあと、1晩で2キロも体重が落ちてしまいました。

カテンベ腎臓移植基金
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by keep_music | 2006-03-08 17:03 | 経過報告