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2006年7月27日
カテンベが危機を脱しました!

奇跡です。
脳内の出血もありません。心臓も力強く働いています。
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7月28日早朝のカテンベ。意識が戻り、危険を脱してすぐの写真。まだ意識はもうろうとしているが、前日とは顔つきがまったく変わった。最もシリアスなときは、つらすぎて写真を撮ることができませんでした。

昨日、私は今日になったらカテンベが絶対に目を覚ますという確信がありました。
だから今日の朝は、朝一番でカテンベに会いに行くことを決めて、朝7時には病院に到着するよう、匡哉と両親を迎えに行き、病院に行きました。

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by keep_music | 2006-07-28 12:34
2006年7月26日
早川千晶

カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介
イベントのお知らせ
基金口座振込み先

カテンベは今日も意識が戻りませんでした。だけど昨日より反応があります。今まだナイロビ病院のICUです。だけど絶対に回復すると信じています。カテンベの耳元で話しかけると、必死で目を開こうと反応しているのがわかります。

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by keep_music | 2006-07-27 13:30 | 経過報告
2006年7月25日
カテンベが突然、重体に陥りました。

今、ナイロビ病院のICU(集中治療室)にいます。

昨日の午前中、MPシャー病院を退院することができ、キベラの自宅に戻り喜んだのもつかのまの出来事でした。
昼ごろに家に到着し、カテンベは疲労困憊しているものの、話をすることもできました。
夜8時ごろまではまだ話ができたのです。

それがその後、寝てから夜中に、カテンベがうんうんうなる声でお母さんは目が覚めたということです。
話しかけても、反応がない。
そして、体が痙攣している。
MPシャー病院に入院中も、そのような症状が出ていました。
だけどそれは一時的なショックから来ているので、ゆっくりと休んで食事に気をつけるようにすれば、だんだんと回復してくるだろうから、あまり心配しすぎないように、とお医者さんから言われて退院してきたところでした。
体を動かそうとしても痙攣する。体がビクッビクッと電気ショックのように痙攣を続けたりもしました。
血圧はほぼ正常。
朝になり、ムウォンゲラ医師に電話をかけて、相談をしました。
今日は午後1時から透析を受けることになっていたのだけれど、それよりも少し早く午前中にきなさい、と言われました。
そこで午前11時にナイロビ腎臓センターに行きました。
11時にはいると言ったにもかかわらずムウォンゲラ医師は不在で、別の医者が診察をしたところ、とりあえず様子を見ながら透析をしましょう、と言われました。
カテンベに話しかけても、彼の返事は言葉にならず、目から涙がポロポロとこほれました。
だけどこちらの言うことはわかっている様子でした。体の痙攣は続いていました。
医師は、そんなに心配しないように、と繰り返し言うので、そのまま透析をすることになりました。
涙をポロポロ流しながら、声にならない声で、カテンベは何かを訴えようとしていました。
口に耳を近づけてよく聞いてみると、「MPシャー病院に行きたくない」と言っていたのでした。
MPシャー病院のICUで、不慣れな看護婦が何度も腕に針を突き刺し、絶叫するほどの激痛に苦しまされたことが、相当なトラウマになっていたのだと思います。
透析の機械を目で追って、またおびえたような表情をして泣きました。
カテンベに、「もうMPシャー病院には行かないからね。カテンベが大好きなヴィッキーさんがここで透析をやってくれるよ」と何度も言って、安心するように言いました。
だけどこんな状態で透析をしていいものか、私たちも不安でした。それで何度もお医者さんに、「こんな状態で本当に透析をして大丈夫なのですか」と聞きました。そのたびに、「大丈夫だ。まったく問題ない。透析は今日絶対にしなければならない」と言われました。
それから透析がはじまり、3時間を経過して、透析を終えました。
その直後に、脳のCTスキャンを取りに行くように言われました。
車椅子に乗ってスキャンが取れる部屋まで行きました。
待合室で待っているとき、カテンベの容態が急変しました。
ショックの発作のような状態になり、ひどく痙攣して、意識を失いました。
すぐに車椅子から寝かせて酸素吸入をして、そのままナイロビ病院のICUに救急車で担ぎ込まれました。

ナイロビ病院のICU で、すぐに呼吸器を挿入し、機械で呼吸をするようになりました。
意識はありませんが、話しかけると手をびくっと動かしたり、目を見開いたりして反応します。
声が聞こえているのではないかと思います。
ICUの医者の説明によると、このまま薬で眠らせて、いろいろな処置をして明日の朝まで様子を見る、ということです。
腎臓専門医の主治医、ムウォンゲラ医師は、透析をして状態を改善させ、血圧を下げる処置をして、他にはできることはあまりない。あとは本人の体力と心臓がどこまで持つかということだと言います。
私は医師にしつこくつきまとって、いろいろな説明を求めましたが、医師が言うことがとてもあやふやで頼りないので、私と匡哉は大変不安になりました。
もしかしたら、これが本当にナイロビでの医療の限界ということなのかもしれないと思いました。本当に、これ以上どうしたらいいのかわからない、と医者自身が思っているようで、ムウォンゲラ医師の表情も困ったような顔になっていました。
肺に水がたまってぱんぱんになっているそうです。尿がまったく出ません。
「昨日の夜いらい、尿が出ていないので、なんとかしてください」と、私は何度も、腎臓センターで透析を受ける前に言ったのです。だけどそのときは医師は、「カテンベの場合、こうやってだんだん尿の出が悪くなり、そのうちまったく尿が出なくなるときがくる。だけど透析で余計な水分を取り出すのだから心配ないのだ。透析にまかせなさい」というようなことを言い、しつこい私にあきれたような顔で「心配するな」といい続けていました。
今日の午前中に私がカテンベの体を触ったかんじだと、なんだか体全体が腫れているし、おなかを触ったらとても痛がるので、これは何かおかしいのではないか、と私は医者に何度も言ったのです。それでも腎臓センターの医者は、「大丈夫だ」と言い、透析をするように言いました。

ナイロビ病院ICUに入ってからあと、血圧がひどく上昇しました。上が245まで上がりました。
心臓が弱っているということも言われ、肺に水がたまっているからこれが取り除かれればもっと楽になると言われました。
体の痙攣は、脳内に出血があるのか、梗塞があるのか、ということかもしれないので、それを確認するために脳のスキャンをとると言われました。
そして今日はそのあと、また透析をすると。
「本当に大丈夫なのですか」と何度も聞きましたが、医者は、大丈夫だ。肺の水を取るためには透析をするしかない。と繰り返します。

今までカテンベは、透析を本当につらいと言っていましたが、それでもつらい透析に耐えてきました。
あんなにいやだった透析を、今また意識がないカテンベの体にやらなければいけない。
たまらない気持ちになりました。

呼吸器をつけたカテンベは、薬で眠らされているけれど、目がずっと半分開いていました。
手を握って、体をさすって話しかけて、お母さんと匡哉と私とで、がんばれ、がんばれと言うと、手がぴくっと動きました。
そして、目から涙がポロリポロリとこぼれ落ちました。
お母さんが、「私の子よ、今までずっとがんばってきたのだから、心を強く持ちなさい。神様がそばにいるから。お母さんも匡哉も千晶もそばにいるから」
と、ずっと耳元で話しかけていました。


今日のところは医者は、脳のCTスキャンを見なければこれ以上のことは何も言えない、と言いました。
明日、スキャンの結果と血液検査の結果をもとに、どんな状態なのかを説明してくれるということです。
困った顔をしていたムウォンゲラ医師も、それでも絶対あきらめていない、と言いました。できるだけのことはすべてやると言いました。
そして、なんとしてでもインドに渡航できる状態まで持っていく、と言いました。
絶対に希望を捨てずに、祈り続けるしかありません。

カテンベの体からは、必死でがんばっていることがひしひしと伝わってきています。
どうか皆さん、カテンベのために祈ってください。お願いします。
カテンベを支えてください。

8月21日のインド行きの飛行機の予約が取れ、航空会社の医師との連絡も取り始めたところです。
インド行きのために必要なお金を基金からドルに換金し、今週末にナイロビに向かう友人に持ってきてもらうようにお願いをして、その手配もはじまったところでした。
今日は急なことでICUに緊急入院し、そのデポジットがなんと60万シリング(約100万円)かかるとのことです。
今日あった持ち合わせの11万シリングをとりあえず支払いました。
MPシャー病院はカテンベは前回の入院でトラウマができてしまったことと、腎臓センターとナイロビ病院は隣接していて今日のような状態だとMPシャー病院まで運ぶのが間に合わなかったことで、急きょ、ナイロビ病院に入院することになりました。
ナイロビ病院は東アフリカで最高の病院です。その分、コストも最も高いです。それでもナイロビ病院以上にできる病院はないので、ここでそのままがんばろうということになりました。
今月に入って2回の入院、しかも先週はICUに入院のせいで、医療費がかさみ、基金の残金が減っています。
それでもインドに渡航するためにギリギリの分は残っていると思っていました。
ところが今回またICUへの入院。インドに渡航するためにギリギリだった資金を使わねばなりません。
どうかお願いします。カテンベを支えてください。
これからナイロビ病院で状態を回復させ、無事インドに渡航できるよう、支えてください。
インドに行けば、ナイロビよりももっと方法があるはずだと思うのです。
ここではもう、医師もこれ以上どうしたらいいかわからないという様子なのです。ムウォンゲラ医師自身も、絶対にインドに行かせたいと言っています。
どうかなにとぞよろしくお願いいたします。

カテンベの魂に届くように祈ってください。私もカテンベの耳元で励ましの言葉をかけ続けます。
元気になって大好きなミリティーニ村に帰ろうね。みんな待ってるよ。みんなカテンベのために祈ってるよ。
手術して元気になったら、何でも食べれるし好きなだけ走り回れるよ。
そうしたら、もう苦しい透析もしなくてもいいんだよ。
絶対元気になれるからね。私はカテンベが元気になると信じてるよ。いつもそばにいるからね。一緒にがんばろうね。


早川千晶
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by keep_music | 2006-07-26 12:09 | 経過報告
近況報告 2006年7月25日
早川千晶

カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介
イベントのお知らせ
基金口座振込み先

昨日カテンベが退院しました。
輸血が効いてヘモグロビンの数値があがり、様子もだいぶ落ち着きました。
お医者さんに「もうこれ以上病院にいても、できることは何もないから、とりあえず家に帰って休みなさい」と言われて退院することになったのです。

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by keep_music | 2006-07-26 11:55 | 経過報告
近況報告 2006年7月23日 
早川千晶

カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介
イベントのお知らせ
基金口座振込み先

カテンベ、なんとか持ち直しました。
今日の午前中まではまだ朦朧としていたのですが、昼過ぎごろからは意識もしっかりしてきて、夜には冗談とばすくらいになりました。
今日、集中治療室から出ることもでき、リモコンでびよーんびよーんと動くベッドに寝てリモコンで遊んで喜んでいました。
昨日、キベラから献血にきてくれた仲間たちの血を輸血したのがとっても効いたようです。

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by keep_music | 2006-07-26 11:52 | 経過報告
近況報告 2006年7月23日 
早川千晶

カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介
イベントのお知らせ
基金口座振込み先

いま病院から帰ってきました。
今日は2人分の献血分を輸血しました。

カテンベはとてもがんばっています。
でも心臓がとても弱っているということで、匡哉とお母さんと話し合ってできるだけ早くインドに向かえるように手配をはじめようということになりました。

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by keep_music | 2006-07-24 01:06 | 経過報告
近況報告 2006年7月22日
早川千晶

カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介
イベントのお知らせ
基金口座振込み先

カテンベが集中治療室に入って3日たちました。
7月6日に具合が悪くなって入院してからあと、状態が良くなって7月10日に退院しました。
ところが7月19日の深夜、また急激に具合が悪くなりました。心臓が痛い、息ができない、血圧が急激に上昇し、高熱を発し、緊急に入院したのです。

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by keep_music | 2006-07-24 00:53 | 経過報告
緊急連絡「献血のお願い」
「献血のお願い」
2006年7月22日

早川千晶

カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介
イベントのお知らせ
基金口座振込み先

カテンベが3日前の夜中に調子が悪くなり、再度入院しました。MP・SHAH病院のICU(集中治療室)にいます。
肺炎だということです。
輸血をしましたが、昨夜また様態が悪くなりました。
重度の貧血のため、再度輸血が必要です。

ナイロビ在住の方に、献血をご協力いただけませんでしょうか。
血液型はなんでもよく、JUMA HAMISI KATEMBE のため、と言っていただいて献血したら、カテンベに合う血液がもらえます。
そうやってカテンベのための血液ストックがあれば、今後の緊急の際にもそのストックで輸血をしてもらえます。
今日献血ができない方でも、また今後のために役立ちますので、可能な方はお願いできるとありがたいです。
MP・SHAH病院は、タウンからミュージアムヒルをあがって、メイフェアホテル(ホリデーイン)に向かう道を行くと、メイフェアホテルまで行く前のランダバウト向かって右にある大きな病院です。(近くにガソリンスタンドがあるので、わからなくなったらガソリンスタンドできいていただけるとすぐにわかると思います。)
受付で献血をしたいと行っていたくと献血の場所をおしえてもらえます。用紙に記入して、JUMA HAMISI KATEMBE 用だと記載してください。
どうかよろしくお願いいたします。

早川千晶 携帯電話 0722-718291
大西匡哉 携帯電話 0723-596563
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by keep_music | 2006-07-24 00:52 | 経過報告
近況報告 2006年7月9日
早川千晶

カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介
イベントのお知らせ
基金口座振込み先


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カテンベが入院しました。
7月6日の夜中に具合が悪くなり、息が苦しい、体がむくんで痛い、などの症状と、高熱を発しました。血圧も急激に上がり、朝いちで腎臓センターに行き透析をしました。すると、透析をしている最中にも吐き、苦しんだあと、一時落ち着いたかと思ったら、今度は血圧が急激に下がり始め、体が冷たくなりました。そのあとショック状態のようになり、目を見開いたままで意識が遠のきました。それであわてて緊急入院となったのです。
入院したあと、だいぶ状態は落ち着きましたのでとりあえずの心配はありません。
どんなかんじだったのか、カテンベに詳しく話を聞いてみましたところ、夜に苦しかったときは心臓がバクバクとして破裂しそうだった。そのあと透析をはじめてからは、心臓がとても冷たくなり、体中も冷たくなって、これは一体なんなのだろうと思っているうちに意識が遠のいていったそうです。
入院して、心臓のスキャンを取りました。お医者さんからの詳しい話はまだ聞かせてもらっていません。
ここのところ、カテンベは気力が充実していて、顔やしゃべりかたにも生気がみなぎっているようなかんじでした。ワールドカップを楽しんで見ていましたので、それに励まされて、自分も動きたいと体がむずむずしていたようで、階段の上り下りなどをゆっくりゆっくりですが張り切って練習していたところでした。カテンベは見違えるように元気になったね、と、まわりの人々も喜んでいました。
ところが今回のことで、カテンベは気力だけで持っていたのではないか、と思わされました。血液検査をしてみたら、数値は決して良くなく、ヘモグロビンの数値も下がっていました。本当は体はしんどかったのではないかと思います。それにしても、こんな状態でもカテンベの気力と、生命力の強さには本当に驚かされます。
透析はカテンベの体にとても負担をかけているように思えます。とにかく一刻も早く手術をしたほうがいいのでは、とみんなで話し合っています。
今は主治医からの判断を待っているところですが、場合によっては早くインドに行けるように手配を早めようと思っています。
入院して翌日の昨日は、カテンベはすっかりけろっとしていて、いろいろと面白おかしく話を聞かせてくれました。ワールドカップの決勝は病院のベッドの上で見ることになりそうです。
本当は体の状態が悪かったのに、ここのところ気力が充実していたのは、皆さんからの励ましやお祈りのおかげに違いない、と思っています。生命力というのは、はかりしれない力ですね。数値や計算では考えられないような力を持っているのだとつくづく実感しました。どうかこれからも見守ってください。よろしくお願いします。
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by keep_music | 2006-07-11 12:32 | 経過報告
近況報告2006年7月2日
早川千晶

カテンベ腎臓移植基金の設立にあたって
カテンベの紹介
イベントのお知らせ
基金口座振込み先
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左からカテンベ、ジョン、ジョージ、ママアドリ、ジャネット

今日は日曜日。カテンベの家に、マシモニ・ユース・グループの面々が歌を歌いにきてくれました。
カテンベが大好きなマシモニ・ユース・グループ。カテンベはCDで彼らの歌を聞いていて、お気に入りの曲もあります。(大西匡哉制作のCD,TWENDE NYUMBANIキベラスラムの歌声Vol.1にも彼らは参加しています。)
今日はなんと、彼らが歌でカテンベを励ますために、カテンベのためだけのライブをカテンベの家でやろう!ということになったのでした。
マシモニ・ユース・グループはキベラスラムの若者たちが集まり、リーダーのジョンが3年前に結成したゴスペルグループです。ジョンは夜勤の警備員の仕事をしていますが、夕方6時から朝6時までの仕事があけると、ちょっとだけ仮眠をとってから午前10時にはマゴソスクールに来ます。ボランティアで子供たちに音楽指導をしたり、洋裁教室で練習したりしてから、また夜勤の仕事に出かけていきます。警備員の仕事は月給8千円でとても薄給なのですが、その収入で彼は引き取った孤児の子供たち3人と自分の子供、そして奥さんと共に暮らしています。
グループメンバーは13人。そのほとんどが、無職のスラム住民たちです。働きたくても仕事がありません。スラムの若者たちは、がんばって苦学しても、学校を卒業してからあとに就職先がないことが、大きなストレスになっています。未来に希望を持てず、自暴自棄になってしまう若者も多く、犯罪に走る種になってしまいます。そこでジョンは、そんな若者たちを集めて音楽グループを作りました。ジョンは貧しい農村の出身者ですが、小さいときから歌が好きで、小学校6年生のときから作曲をはじめました。いつも頭の中で音楽が鳴り響いているのだそうです。マシモニ・ユース・グループは歌を歌うことで、がんばって生きていこうよ!という想いを伝えたり、エイズは怖い病気だという情報を伝えるなどの活動をしています。スラムのあちこちでこれらの歌を歌うだけでなく、地方の村々にも巡業します。彼らの素晴らしいハーモニーと、魂の奥底からあふれてくるメッセージを乗せた歌は人々の心を打ち、今では、遠くウガンダまで彼らの歌が歌い継がれていっています。
さて、大好きなマシモニ・ユース・グループが自分だけのために歌いにきてくれた!と、カテンベは大喜び。ひそかにママとメジラ(妹)も大喜びでした。だってカテンベは透析への往復以外はほとんど家から外に出ることができません。いつも一家で家の中に閉じこもっていなければならないので煮詰まるときもあるけど、ラジオやCDを聞くことが一番の楽しみなのです。何度も何度も繰り返し聞いていたマシモニ・ユースの歌。それを今日は、目の前でナマで聞けるのである!

狭い家が人だらけになるほどのお客さん。マシモニ・ユース・グループ10人と、子供たち4人が来てくれました。そして、歌がはじまりました。

スワヒリ語の歌やルオ語の歌です。カテンベはルオ語がわかりませんが、意味がわからなくてもスピリットが伝わってきます。キベラプラザのアパート中に、彼らの歌声が響き渡りました。力強い歌声、そしてソウルフルなハーモニーです。近所の人々も、なんだ、なんだとのぞきにきました。部屋の中は、彼らの歌声につつまれました。部屋の中をぐるぐるとハーモニーが渦を巻き、私も頭の中がぐるぐる巻きになりました。
彼らはなんと、2時間も休みなく歌い続けました。カテンベも一緒に歌いました。
台所では、ママとメジラが踊りながらチャパティを焼いていました。
歌い終わってから、カテンベに励ましの言葉をかけてくれました。
「カテンベは病気で苦しんでいるけど、ひとりじゃないよ。心はみんな一緒にいるからね。」
カテンベは、うん、うんとうなずいて、とても嬉しそうでした。
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ママは台所でチャパティを焼きながら歌を口ずさむ。おしりふりふり。

現在、キベラの歌声のCD第二弾を制作しているところです。レコーディングは昨年の11月から今年の2月で行い、それから匡哉がずっと編集作業をしています。マゴソスクールの子供たちとマシモニ・ユース・グループのコラボレーションのCDですが、ここに、カテンベの歌を含めたらどうかというアイディアが匡哉からあがってきました。カテンベはまだもう少し元気だった頃に、地元のモスクで評判の歌い手でした。かつてはたくさんの人々の前で歌い、その歌声が人々の胸を打ち、賞賛を受けていたということです。おじいちゃん、おばあちゃんたちがカテンベの歌を聴いて涙を流しながら賞賛していたのだそうです。

匡哉と私は、このキベラCD第二弾にカテンベの歌も加えて、利益の分配にカテンベ基金へのチャリティを含みたい、と考えましたが、これはマゴソスクールとマシモニユースグループに相談しなければならないと思いました。あくまで彼らの作品ですから、彼らがそれを承諾してくれるかどうか、7月1日にミーティングをして話し合いました。
すると、マシモニユースグループやマゴソ代表のリリアンがなんと言ったかというと、
「カテンベのことは緊急にお金が必要だ。私たちはそれを助けたいと思っても、助けるすべがない。だけどCDで協力できるなら、とても嬉しいことだ。私たちの印税すべてをカテンベにあげてくれ。」と、こんなふうに言い、みんな、そうだ、そうだと賛同しました。
惜しげもなくそんなふうに言う彼らに、私はとても驚いて、嬉しく思いましたが、CDを買ってくれる人たちはマゴソスクールやマシモニ・ユース・グループに対しても応援の気持ちを持ってくれているのだから、応援されているのはカテンベだけじゃないんだよ、と言いました。だから、カテンベだけじゃなくてマゴソもマシモニユースもCDから利益を得て向上していけるよう、みんなで分配するのがいいのでは、と提案しました。
話し合った結果、売り上げの10%をカテンベ基金へのチャリティとすることで決定となりました。マシモニ・ユースとマゴソスクールが自分たちの印税を削ってチャリティとして提供してくれることになりました。

CDのタイトルは、IENDE MBELE(前進)に決定。
9月15日リリースを目指してがんばっていますので楽しみにしていてください。
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マシモニユース、立ち上がって部屋の中を回りながら歌う。

マシモニユースとマゴソが歌うのは、キリスト教のゴスペル。カテンベが歌うのは、イスラム教の聖歌です。その中に、キベラの子供たちの多くの出身地であるビクトリア湖畔のわらべ歌や、ジョン作曲の歌も含まれています。
Vol.1のレコーディングの最中にはじめてマゴソにやってきた元ストリートキッドのトニーや、虐待を受けて逃げてきたアピヨ、母親が死んでから労働力として売られていたエミテワなどの歌声も含まれています。
トニーやアピヨは現在、カテンベの出身地のミリティーニ村で元気に暮らしています。キベラの子供たちとミリティーニ村の子供たちが一緒に暮らす家、「ジュンバ・ラ・ワトト」を作って7ヶ月になりました。宗教や言語が違っても、こうしてみんなで家族になれるし、お互いの人生を支えあうことができる、というのは、ほんとに素敵なことだなぁと実感しています。
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by keep_music | 2006-07-04 14:35 | 経過報告