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最新情報
早川千晶
UPEPOアフリカの風ネットワーク

3月18日現在、集まった募金合計は 1,359,809円 になりました。ありがとうございます!これからもよろしくお願いします!


このブログをごらんになっている皆さん、こんにちは。早川千晶と申します。私はケニアに住んで18年目になる者で、大西匡哉君の友人です。匡哉の弟、カテンべ君が死の寸前でナイロビにやってきて1ヶ月ちょっとたちました。ナイロビで影ながら匡哉のサポートをさせてもらっています。これから私からもときどき、このブログでカテンべ君の最新情報をご報告させていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

生死の境をさまよって、めまぐるしい1ヶ月でしたが、ナイロビにカテンべが暮らすためのアパートを借りて週3回の透析に通いはじめてから、だんだんと状況は落ち着いてきました。まだほとんど歩けないし、片時も油断できない状況ではあるけれど、生活の場を安定させることができたせいで、カテンべ本人も家族たちも気持ちが落ち着いてきて腎臓移植手術に向けての準備をはじめています。
アパートを借りたのは、ナイロビのキベラという地区のはずれです。キベラは私が仲間たちと共に孤児のための学校を作っているスラム地区です。借りたアパートは、スラムの粗末な住居ではなく、清潔な環境で落ち着いて生活できるコンクリート5階建てのしっかりしたアパートです。カテンべが歩けないため、車で横付けできる場所、そして、衛生面に問題がない場所というのが条件でここに決めました。キベラには私たちの仲間がたくさんいますので、何かと手伝ってもらえるというのも利点です。ですが水が出ないので、水は毎日、下から4階の部屋までかついであがらなければなりません。
このアパートを借りてから、匡哉はずっとそこでカテンべと共に暮らしています。週3回は腎臓センターに透析を受けに行かねばならないので、そのたびにこの4階の階段をカテンべをかついで上り下りしなければなりません。
家にいるときのカテンべは、寝ているか座っているかしかないので、匡哉がカテンべの気持ちを盛り上げるために工夫を凝らしていろいろなことに挑戦しています。ピアニカを弾いたり、ラジオを聴いたりしていますが、この前遊びにいったときにはカテンべと匡哉のお絵かき帳を見せてくれました。カテンべが描いていた、村の生活風景の絵がとってもステキでした。家があって、外にトイレがあり、畑にはトウモロコシが豊かに育っている、という生き生きとした絵でした。匡哉も面白い絵を描いていました。小さな露店で野菜や果物を売るおばちゃん、バイクやバスが通り過ぎる道路の脇でタイコを叩いている人、遊ぶ子供たちや我が道をいくネコなど、その上には青空が広がっているというアフリカのにぎやかな街角の絵でした。早くカテンべが元気になって、他の子供たちと同じように裸足で走り回ったり、学校に行ったりできるようになるといいなと心から思います。

おだやかな生活が戻ってきたように見えるキベラプラザのアパート暮らしですが、実際には片時も油断することはできません。カテンべはいつなんどき、発熱や呼吸困難、痙攣などの発作を起こすかもわかりません。透析も順調なようですが、実際には、透析のたびに、透析中に発熱したり、吐いたり、胸の痛みを訴えて苦しむことがあります。なので匡哉は夜が心配だといって、夜間も泊り込んでいるのです。
こうやって匡哉がそばにいてくれることで、カテンべやカテンべの両親はどれだけ心強く思い、救われていることだろうかと思います。私はこれまで長い間、アフリカの様々な村に関わりを持ってきましたが、あちこちで、重病の大人や子供に出会うことありました。何度か訪れたことがある村では、10歳のときに全身に焼けどを負った男の子がいました。貧しい親は医療費を捻出できず、何年たっても彼の焼けどはジクジクしたままで癒えることはありませんでした。全身焼けただれてひどく痛み、彼は歩くことも家の外に出ることもできず、ただボロ布を体に巻いて、真っ暗な部屋の中で横たわっているだけです。土壁に藁葺き屋根の粗末な住居には、とても小さな窓しか開いていません。光も風も、部屋の中にほとんど入ることはなく、昼間はうだるような暑さです。傷口に蝿がたかり、化膿させ、さらに痛ませます。彼はただそこに横たわり、来る日も来る日も、ひたすら痛みに耐えていました。
別の村で出会った女性は、6歳の子供を残して死にました。彼女は重病で、寝たきりになってしまいましたが、やはり貧しさのせいでまともに医療を受けることができませんでした。寝たきりの彼女に食事を運んでいたのは6歳の息子です。最後の日、彼女は、外に出て空気が吸いたい、と言ったのです。息子は、近所の人に助けを求め、土壁の貧しい小屋から彼女を外に出してもらいました。彼女はその後まもなく、外の空気を吸いながら息を引き取りました。その6歳の息子は、その後ナイロビのキベラスラムにやってきて、現在は私たちの学校に住んでいます。5年生になりました。
このような苦しみを、彼らはなぜ負わなければならないのか。私はこれまで何度も、そんな場面に接しても何もできず、無力感にさいなまれてきました。カテンべは匡哉に出会って、苦しみに対して無力だった自分から、今、刻一刻と変化していっている自分を実感していると思います。カテンべの人生をより良いものにするために、全力で取り組んでいる匡哉の誠意は、カテンべに今まで得たことのない希望を与えてくれていると思います。そして、匡哉の呼びかけに瞬時に応えてくれた、日本のたくさんの人々の気持ちは、カテンべに苦しみを乗り越えて生きていくための勇気と力を与えてくれていると思います。

日本からの励ましの声はカテンべの心にまっすぐ響いているという実感を、ここのところ私はカテンべに会うたびに感じています。彼の表情が変わってきました。そして、自ら積極的に病気に立ち向かっていこうとする心意気が、いろいろな場面で伝わってくるようになりました。本当は食べたくて仕方がないものもガマンして、自分で食べるものに気をつけるようにもなってきました。瀕死だったカテンべにとって、ナイロビにやってくる直前には、自分が死の一歩手前にいるという実感があったのではないかと思います。そして、そこから救い出してくれた匡哉は、今のカテンべにとって、生きるために残されている唯一の希望の光に見えているようです。だから、カテンべは匡哉の言うことを全部真剣に聞きます。まっすぐに信頼を向けてがんばっています。

皆さんにとって、会ったこともない、まったく見ず知らずのアフリカのひとりの男の子のために、励ましの気持ちや温かい心を届けてくださって、本当にありがとうございます。瀕死のカテンべを目の前にして、途方に暮れていた私たちですが、そんな私たちにこうして力を与えてくださった皆さんに心から感謝しています。この気持ちをどうやって表したらいいのかわからないのですが、とにかくカテンべにとって最良の方法を模索して最善を尽くすこと、そして、カテンべのように苦しまされている世界中の人々に少しでも救いがあることを祈り続けたいと思います。希望というのはひとりで生みだせるものではなく、たくさんの人々に支えられて勇気や希望や生きる力を与えてもらえるのだということを実感する毎日です。

皆さんにたくさんの「ありがとう」を届けたくて、ブログに書き込みさせていただきました。

これからもちょくちょく、カテンべと匡哉の様子を報告させていただきたいと思います。


2006年3月19日
早川千晶
by keep_music | 2006-03-20 09:34 | 経過報告
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